初めて見た時。湖のような瞳だと思った。
 それは澄んだ綺麗な水色と言う意味ではなくて。

 雨が降れば波紋を起こし、風が吹けば小さな波を起こす。けれど何処にも行く事が出来ずにただその場所にたゆたう、そんな瞳。


 あの目はあんまり好きじゃなかった。


 舵輪の前に備え付けられたベンチに腰掛けボンヤリと空を眺めていたゾロは、これまたボンヤリとそんな事を考えていた。







 ここ最近、ぽっかりと空いてしまう時間。
 何時もと同じだけトレーニングをして、何時もと同じだけ昼寝をして。何も変わらない筈なのに余ってしまう時間がある。

 何でだ?

 視線の先で太陽に覆いかぶさっていた薄い雲が、風に散らされその姿を変える。白い衣から開放された太陽が腕を伸ばし、瞳を射られたゾロは眩しそうに目を眇めた。
 抜けるような青空。
「良い天気だな」
 口から零れた陳腐な感想は太陽のお気に召さなかったらしい。あっさりとゾロの上から海面へと腕を移動させ、砕け踊る波と戯れ始めた。
 背凭れに身体を預け、暫くの間波と太陽の遊戯を眺めていたゾロはつい、と水平線へと視線を移す。青い空と青い海。同じ色を湛える二つは寄り添いながらも混ざる事はなくて。
 何だかそれが酷く不思議なことに思えて、軽く笑みを漏らす。
 何故か余ってしまう時間。浮かんだ疑問は笑みと共に零れ、吹きつけた潮風に攫われて行った。



 目に映るのは青い空と、青い海。
 そして思い浮かべたのは、蒼い。


「ああ・・・何だ。混ざっているじゃないか」
 大きく吐き出した息は笑い声になる前に周囲に霧散し。
 ゆっくりと瞳を閉じたゾロは両腕で顔を覆った。



 最初に見た時は、湖のような瞳だと思った。そこから動く事の出来ない水の色。
 あまり好きじゃないと思った。
 けれど、自ら閉じ篭っていた場所を飛び出した水は、あっという間にその色を変えていった。

 怒りも露わに怒鳴る時は、深い海の底を思わせる色に。
 機嫌良く笑う時には、澄み渡った青空の色に。
 そして真剣な表情で夢を追う時には、その二つを混ぜ合わせた深い深い蒼色に。

 確かに初めの色は好きではなかったけれど。
 くるくると色を変える今の瞳を自分は気に入っているんだと、唐突に気付く。
 気付くと同時に、そういえば最近青空の様な瞳を見ていないということにも思い至り、ゾロは顔を覆ったまま閉じた目蓋を持ち上げた。


 コツコツ。 


 腕を下ろそうと身じろいだ瞬間、背後から聞こえてきた甲板を叩く硬い靴音に、思わず開いたばかりの瞳をきつく閉じる。今更その場を離れる時間も無いほど近くから聞こえてきた音に、内心舌打ちする。

 何故気付かなかった。あれほど気を付けていたはずなのに。

 自問しながら全身で近付いて来る気配を感じ取ろうとしたゾロは、鼻先を掠めていった潮風にその答えを掴み取る。

 匂いが、しないんだ。

 近付くなと言われたから離れていた。
 一度気を許してしまった相手の気配には酷く疎くなってしまう自分。だからこその合図だった匂いが、薄らいでしまっているのだ。


「・・・・・・・・ったく。ほんと、何処ででも寝れる奴だな」


 低く抑えた声はゾロの頭上から聞こえてくる。こうなったら寝た振りを続けるしかない。殊更呼吸をゆっくりと繰り返し、自然と入っていた全身の力を徐々に抜いていく。
 降って来た小さな溜息は、自分の狸寝入りには気付いていないと考えても良いだろう。

「コイツ、本気で酒と光合成で生きてんじゃねぇだろうな。なんたってマリモだからなぁ・・・」

 呟かれた言葉に思わず怒声を上げそうになり、必死に耐える。そんなゾロの努力に気付く事無く、再び小さく溜息を付いたサンジは、カタンと何かをベンチの端に置くとそのまま傍を離れていった。


「なんか、久しぶりにコイツを見た気がする・・・・」


 零した溜息よりも更に小さな呟きを残して。





 十分に足音が遠ざかってから目を開けたゾロは、傍らに置かれたデザートに視線を向けてから、漸く納得したように一人頷いた。

 そうか。喧嘩をしてないからだ。

 妙に余ってしまう時間は、以前はたった今此処に居た料理人と単に喧嘩というには激しすぎる乱闘を繰り広げていたものなのだと、気付く。
 よくもまあ飽きずに毎日繰り返していたものだと。我が事ながら呆れつつ身を起こす。

 それでも嫌いではなかった。あの瞳が深い海の色に染まっているのを見るのは。
 そしてその後、ナミに怒鳴られてお互い気まずそうに笑った時に向けられる、澄んだ空のような瞳を見るのが。



 今、自分を見下ろしてムカつく台詞を吐いていた男の瞳はどんな色をしていたのだろう。
 今日のような青空の色だったら良い。多分、自分はその色が一番気に入っている。



「よく考えたら、別にあいつに言われたからってムキになることもねぇじゃねぇか」

 話したいときに話しかければいい。相手にしたくない時は適当にあしらって。
 最近の自分らしからぬ行動が滑稽にさえ思えてくる。

「俺は俺がしたいようにすりゃいいだけだな」

 目を向けた水平線は、やはり空と海の色が混ざる事はなくて。
 抜けるような青空は、所々白い雲に切り取られていて。




 自分はもっと近くに深く交じり合った色や、切り取られる事なく広がる青色が有る所を知っているんだと。


 何となく勝った様な気分になって、ゾロは我が物顔で天空に輝く太陽ににやりと笑って見せた。

 


お題10:青空 でした。

大変。逃げたサンジはまたしてもゾロに置いて行かれる予感(笑)
何だかんだ言って、拙宅のゾロはあんまり悩みませんよ。
ちょっと考えて面倒臭くなって開き直ってます(それもどうか)
だから振り回されるんだよね・・・サンジ(哀れみの目)

では!最後まで読んで下さって有難うございました!
(’08.6.22)

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