声を掛けられた事に、酷く困惑した。
「酒・・・とつまみ。くれねぇかー?」
深夜のキッチンに訪れて、サンジが居るのを確認してから軽い調子で依頼してくる。
少し前までは当たり前の光景。
一応頼む姿勢を見せているが、断れば実力行使で奪う気満々の声。返事も待たずに当然の様に椅子に腰掛けて待つ態度。
どれも同じ。
初めは自分が避けた。そしてその後は恐らく目の前の男が。
船の中という限られた空間の中で、見つけ出す事が出来ずにすれ違ってばかりだった。
安心する様な落ち着かない様な、もどかしい日々。
まるでそれは夢の中の出来事だったかのように。
「・・・・・・?聞いてんのか?」
何の動揺もない、平坦な声。
立ち上がり、躊躇いなく近付いて来る足音。
正面に立ち、サンジの目の前でひらひらと手を振ってみせる。その向こうには鮮やかな色の瞳。
「おい?聞いてねぇんなら勝手に持ってくぜ?」
「・・・・・・・っ!聞い・・・・てる」
絞り出した声は少し掠れていて、自分一人動揺している事が酷く滑稽に思えてくる。
唇を舌で湿らせ軽く咳払いしたサンジは、内心を悟られまいと眉間に力を入れた。
「今出すから、ちょっと待ってろよ」
幾分マシになった声に安堵しながら身を返す。
ゾロが離れていく気配を背に感じ、椅子を引く音が耳に届いてから、漸く寄せた眉の力を抜く。
棚から適当に酒瓶を取り出し、冷蔵庫の中を覗く。食材をえ選び、手を加えていく。
慣れているはずの一つ一つの動作がやけに億劫に感じた。
黙って待つゾロ。黙って準備する自分。
ちらりと盗み見たゾロの横顔はやはり何の感情も伺えなくて、ただ穏やかにそこに居た。
「・・・・・・ほら」
「お。サンキュ」
受け取る時の笑顔。
この顔も少し前までは当たり前のものだったはずだ。
「ん」
差し出されるグラスだって。
そしてこの後は。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
口を開くのはいつだってサンジが先だった。他愛も無い話を持ち出して、それにゾロが相槌を打つ。更にそれにサンジが返して。
そうして何時の間にか時間が過ぎていた。
それなのに。
サンジの口は何も紡いではくれない。
発しようとした言葉は全部音になる前に口内で砕け散り、微かな吐息が漏れ出てくるばかりだった。
「・・・・・・・・・」
無言の時間が過ぎていく。
サンジは目を閉じて、口に付けたグラスに隠れて細く息を吐いた。
口は良く回る方だと思っていた。
美麗字句にしても罵声にしても他愛も無い世間話にしても。
それこそ比較的無口なゾロとの会話が成立していた位には。
なのに上手く言葉が出ない。
今までどんな会話をしていた?
自分はどんな言葉を伝えていた?
分からない。
分からない。
(・・・・・・・クソッ)
苛立ちを表す単語でさえ口の中で砕け、表には出てこない。
満ちてくる静寂に耳を塞ぎたくなる。
いっそのこと意味も無く笑って見せればいいのか。
くしゃりと髪をかき上げ、思いついた間抜けな行動をサンジが実行しようとした時、カタンと椅子が床を擦る音が響いた。
はっと視線を上げた先には立ち上がったゾロの姿。
「ごっそさん」
少し満足そうな声。静かな表情。ずいと空になった食器を押し付けてキッチンを後にする、白い背中。
閉まる扉がゾロの姿を完全に隠してしまうまで、瞬きする事も忘れて見送る。
何故だろう。二人の時の沈黙よりも、今一人になった時の静けさの方がやけに痛い。
ただ自分の夢を追っていけば良いのだと、気付いたはずだった。
そうすれば、何も問題は無いと。
なのに、こんなにも心を乱される。
乱暴にテーブルに置いたグラスの中で、赤い液体が揺れて零れる。
じわりと広がる染みに、サンジはきつく両手を握った。
「クソッ・・・・・!」
二度目の言葉は砕ける事無くサンジの口から滑り出る。
しかし、何の力も得る事が出来ないまま、一人きりのキッチンに虚しく溶けていった。 |