「なぁ、ゾロ〜・・・・ごめん〜」
「んー・・・・・ほらよ」

 極偶に、夜中に目を覚ましたチョッパーがゾロの寝床に潜り込んでくる事がある。
 比較的眠りの浅いサンジが、チョッパーの憚るような小声に目を覚ますのは別段変わったことではない。
 しかし嵐の最中ですら豪快に鼾を掻いている事も少なくないゾロが、一度も聞き逃す事無くチョッパーを己の懐に迎え入れているのは、不思議としか言いようが無かった。






 朝日が昇る1時間前。サンジの体内時計はそれを正確に伝えて脳の覚醒を促す。目覚めはしても頭の中は靄がかかり、身体は布団との別離を惜しんでなかなか動こうとしない。
「ん・・・ふあぁ〜〜〜・・・・」
 限界まで口を開いて欠伸を一つ。仰向けのまま煙草を咥える。
 薄闇の中に浮かぶ小さな炎と細く流れる紫煙。大きく吸い込むと口の中にほろ苦い、慣れ親しんだ味が広がった。
 口を尖らせて、体内に燻る僅かな倦怠感を紫煙と共に吐き出す。眼前に広がった煙が勢いを失って消え去るまでボンヤリと眺めてから、漸くサンジは行動を開始した。
「いよっと」
 軽い掛け声と共に寝床から床に降り立つ。
 意外に寝相の良いウソップ、人体の不思議を目の当たりにしているような格好で眠るルフィ(まぁゴムだし)一つ空の寝床があるのは、チョッパーのものだろう。確か昨夜もゾロに声を掛けていた。
 ぐるりと視線を巡らせると案の定、大きく盛り上がった布団の端から若草色の髪と茶色の毛並みが覗いていた。
「・・・・・・・・・・・」
 無言のまま何度目かの紫煙を吐き出す。かくりと首を傾げてから、サンジはほてほてと扉に向かった。


 後2時間もすれば麗しい女性達が目覚めて、彼の城に訪れるだろう。
 少し纏わり付くような空気の今朝は、ミントティーで出迎える事にしよう。









「ヤローども!朝だぞー!」

 予定通り、麗しい挨拶と共にキッチンに現れた女性達にモーニングティーを提供し、ついでに甘い言葉も捧げて、感謝と苦笑を受け取ったサンジは、フライパンとお玉を手に男部屋に戻って声を張り上げた。
 まあ、両手に持っているものは単なる雰囲気付けだ。仲間になった当初、海賊船で豪快ないびきを掻いて眠る男共を起こすなら、矢張りこれらのアイテムを使用した騒音でもって対抗せねばなるまいかと思っただけの話だ。
 実際は全く必要なかったのだが、そこはそれ。如何にもな場面に如何にもなアイテムがないのはちょっと寂しい。よってこの二つのアイテムは今日もサンジの手に握られている。

 実は俺って案外形に拘るタイプなんだよな、と密かに吐かれたサンジの溜息にルフィのいびきが重なった。

 普通に声をかけても起きないのは分かっている。別段ここで騒音を立てても構わないのだが、優雅に朝食中の女性陣の耳を煩わせるのも心苦しい。仕方なく、サンジは手にした道具はそのままに、第一声よりもややトーンを落として決定打を放つ。


「・・・・・朝飯だぞー」
「「「おはようございます!いただきます!!」」」


 見事としか言いようのない和音で一斉に起き上がった年少組が、これまた一斉に出口へ向かう。遠ざかる足音に「顔、洗ってから行けよ!」と声をかけてから、サンジは肩を竦めて一つのベッドへと近付いた。
 そこにはチョッパーによって布団を跳ね除けられたゾロが、僅かに眉を寄せて丸くなっていた。
 なにやら寝息とも呻き声ともつかない音を出しながら、もぞもぞと布団を探る。そっと布団の端を手渡してみるとそのまま蛹の様に包まってしまった。
「おーい。ゾロー」
「・・・・・・・」
「メシだぞー?さっさと起きねぇとルフィに取られちまうぞー?」
「・・・・・・・」
 幾度か声を掛けるも、返ってくるのは無音のみ。
「ここまで来ると才能だよなぁ」
 年少組には決定打となる言葉もゾロには効かない。かといって今こそ両手のブツの出番というわけでもない(実は一度試してみたのだが、ゾロが起きなかった上にナミには五月蝿いと怒られた)急ぐ場合はここで蹴り起こす。そうでなければゾロの分は別に取っておいて目が覚めるのを待つしかないのだ。

「なのに何で、夜中のチョッパーの声にはきっちり反応すんだ?」
 色々と理不尽な思いに駆られつつ、サンジはがしがしと頭を掻きながらその場を後にしたのだった。









「え?ゾロのトコに潜り込む理由・・・・・?」

 嵐の様な朝食の時間が終わり、甲板に駆け出そうとしたチョッパーは、サンジに呼び止められ首を傾げた。
 当然ながらあまり触れられたくない部分であったらしい。もじもじと顔を赤らめながら蚊の鳴くような声で「格好悪いから皆には言うなよ」と念を押して話し始めた。


 時々、夜中に目が覚めるんだ。
 怖い夢を見たとかそんなんじゃなくて、ただ目が覚めるだけ。
 そしたら目の前に暗闇が広がってて。
 じわじわと俺の方に闇が集まってくるような気がして。
 その中心から伸びてくる何かが俺を引きずり込むような気がして。
 それが怖くて怖くて、一人じゃいられなくなって。
 だから。


「だからマリモんトコに?」
「・・・・・・うん」
 恥ずかしさからかすっかりしょげて俯いてしまったチョッパーの頭を、よしよしと撫でながらサンジは小さく苦笑した。

 チョッパーの気持ちも分からなくはない。
 あからさまに怖がる事こそしないものの、サンジだって真夜中に一人で仕込などをしている時、キッチンの外に広がる闇の中から何かが見ているような気がして落ち着かない時がある。
「そうか、だからか・・・」
 どんな騒音の中でも平気で寝ていられる男が、チョッパーの微かな声に目覚めて応えるのは、チョッパーが本気で助けを求めているからだ。
 些細な内容であっても、相手が誰であっても、真実助けを求めていれば必ず応える。

 ゾロとはそういう男であったし、そういう所が嫌だなと半ば本気で思った。


「それしにしても、何でマリモよ?ルフィとか他にもいるだろ?」
 ゾロに対しての感想は兎も角、浮んだ疑問をそのまま口にすると、チョッパーは今までしょげていたのが嘘のようにぱっと顔を上げて満面の笑みを浮かべた。
「あのなあのな!ゾロはな、すごいんだ!」
 そうしてきらきらと瞳を輝かせたチョッパーは、その理由について語り始めたのだった。








「ようマリモン。テメェ暗闇が怖くないんだってなー」


 結局朝食の場に現れなかったゾロに、業を煮やしたサンジが再び男部屋へと足を運んだのはそれから暫くしてからだった。平和そうないびきに軽く舌打ちして、足を持ち上げる。
「起きろやオラ」
 低く言い放って持ち上げた足を勢い良く振り下ろす。容赦ない攻撃に殺気でも感じたのか、爆睡していた筈のゾロがかっと目を見開いて降ってくる靴底を手で受け止めた。
「おや。お目覚めかい?」
「・・・・・テッメェ・・・・・」
 鋭く睨み付けてくるゾロににやりと笑って、サンジは先の台詞を投げ掛けたのだった。


「・・・・・あー。チョッパーか・・・・」
「そ。見せてやりたかったぜ〜?チョッパーの奴『ゾロはすごいんだ!!』なーんて目ぇキラキラさせてたぞ〜?」
 取り敢えず不発に終わった右足を引くと、ゾロは小さく息を吐いて起き上がった。何処となく居心地が悪そうな表情が可笑しくて、身振り付きでチョッパーの様子を伝えてやる。「それキモイからヤメロ」と眉間の皺を深くして言い放ったゾロだったが、サンジの笑みが変わらない事に気付いたのか、僅かに視線を逸らしてがしがしと頭を掻いた。
「別に。大してスゲェ事でもねぇだろ」
「んん〜?そぉんな事ねぇぜぇ?何で怖くないのか教えてもらいてぇな〜」
 あくまでからかい調子に答えると、再びゾロの視線が険しくなる。けれど一向に構う様子のないサンジにとうとう折れたゾロは、大きな溜息をついてから話し始めた。

「暗闇が怖いのは其処に己の心を見るからさ。奥底にある黒い部分がまっさらな部分を犯していく錯覚を覚えるから怖いんだ」

 予想外に静かな口調とその内容に、サンジの胸がひやりと冷えた気がした。知らず笑みを失った口元は、微かに震えていたかもしれない。それを隠す様にいつもより早い口調で問いかける。
「・・・・なら恐れないお前は、よっぽど強い心を持ってるのか。それとも黒い部分なんて無いほどの真っ白な心を持ってるって事か」
 我ながら色を失った声だと思った。僅かに目を見張ったゾロも、自分の変化に気付いたのかもしれない。
・・・・・・あほか。逆だ」
 ほんの少し緩められた声音が、それを肯定していた。


「俺には野望がある。それを叶える為なら手段は選ばないし、何かを犠牲にする事も厭わねぇ」


 これ以上聞いてはいけないと思った。
 それでも、止めることが出来なかった。


「お前らと違って、俺は今更黒く染まる様なまっさらな部分がねぇから、怖くないんだよ」


 そう言って笑ったゾロに、とうとう耐え切れずにサンジはくしゃりと顔を歪めた。
 胸の奥がもやもやとして気持ち悪い。笑い飛ばしたい様な、怒り出したい様な、複雑な気持ちだったが、それを表す言葉が見つからない。
 結局サンジが取った行動は、そうか、と短く答えてゾロに背を向けることだった。






 自分が、笑うでもなく怒るでもなく、泣きたかったのだと知ったのはそれから10分後。
 後ろ手に閉めたキッチンの扉に寄り掛かった自分の頬が、冷たく濡れているのに気付いてからだった。


 何故泣きたい気持ちだったのかは分からない。
 ただ、自覚してしまった涙は乱暴に己の頬を拭ってみても、次々と溢れ出してくる。
「・・・・・・っ!くそっ・・・・・!!」
 ずりずりと崩れ落ちる様に蹲ったサンジは、小さく呻いて握り締めた拳を壁に叩きつけた後。



 ほんの少しだけ、泣いた。




お題14:黒 でした。

ゾロは人の事には敏感なくせに、自分の言動で相手がどう思うか、と言う部分にはどこまでも鈍感だと思ったりしてます。
と言うか、そんなゾロ萌。それに振り回されるサンジ萌。
認めたくないけど薄々自分の気持ちの正体に気付き始めているサンジは、気付き始めただけにこれから更に振り回される事でしょう・・・・・・。
頑張れ。

では最後まで読んで下さって有難うございました!
(’09.5.17)

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