『うさぎはね、すごくすごく寂しがり屋だから、こんな寒い夜にたった一人で居るなんて、とても無理』
 静かに降り積もる雪の様にふわりと笑ったその人の手は、とても温かくて優しい。
『だから寂しくないように、仲間を探して旅に出てしまうの』
 そしてふわふわと笑うその人の背後に隠された、もう半分以上溶けてしまった雪の塊があることに、気付いていた。





「ゆーきーだぁあーーーー!!」
「ふえ!?」
 珍しくキッチンのテーブルで肘を付きうとうとと船を漕いでいたサンジは、突如扉の向こう側から響く興奮を抑えきれない叫び声に、かくりと顎を落とし間の抜けた声を漏らした。
 夢から覚める直前の眩暈にも似た浮遊感に浸る間もなく、きゃあきゃあとはしゃぐ声に強制的に覚醒を促され、仕方なしに重い腰を上げる。
「なーに騒いで・・・・お?」
「サーンジー!雪だぞー!!」
 だらしなく大欠伸をかましながら扉を開いたサンジは、ちらりと鼻を掠める冷たい結晶と身を包んだ冷気にくしゃみを一つしてから、瞳を輝かせて飛び跳ねる年少組に軽く手を振ってみせた。
「お子様は元気だねぇ」
 ふわりふわりと舞い落ちる綿雪は止まる事を知らず、既に手摺はうっすらと白く染め上げられている。このまま数十分もすれば、この船は白一色に染め上げられてしまうだろう。
 
同時に、際限なく遊びまわった挙句に凍えてしまうクルー達の姿も容易に想像することが出来た。がちがちと歯を鳴らしながらも甲板から離れようとしない年少組を、脳裏に描いて軽く苦笑する。
「あー・・・取り敢えず船のコックとしての任務を全うしますかね」
 共に遊べと訴えてくる彼等に、今度は否定の意味で手を振り返すと、途端にあがった非難の声は「三十分後だ!」と言う簡潔な答えの意味を正確に察して、歓声へと変わった。
 
全く現金な奴らだ、と内心溜息を吐きながら扉を閉める。冷気が遮断された室内はほわりとした暖かさでサンジを迎え入れ、転寝していた時に感じた何となくくすぐったい気持ちを思い起こさせた。
「随分懐かしい夢を見たな・・・・」
 まだ幼い自分と、優しく温かい人の夢。
 火を点けた煙草からたゆたう煙を目で追いながらぼんやりと呟いたサンジだったが、一層騒がしくなった甲板の声に、ふるりと首を振って身体を温める為の飲み物の準備に取り掛かったのだった。





 きっかり三十分後。絶妙なバランスで両手にトレイを掲げて、器用に足で扉を開いたサンジの視界に映ったのは、色彩こそ先刻とは変わらないものの格段に賑やかになった甲板だった。
 大小様々な雪だるまに彫刻の様な雪像。なにやらメカを模したようなものまである。所狭しと作り上げられたそれらは、一体どんな戦いを繰り広げたのか、半数は無残にも崩れてしまっていた。勝敗の決め手こそ不明であるものの、がっくりと項垂れるウソップの横でチョッパーとルフィが踊っていることから、どうやら軍杯は彼等に上がったらしい。
 楽しそうで何よりだが、予想に違わず年少組はがちがちと歯を鳴らしており、傍らでは女性陣が片や呆れた様に、片や微笑ましく見守っていた。
「ほんっとお子様だな」
 肩を竦めて呟いたサンジは、雪像の間を縫ってまずは女性陣の元へと足を運んだ。トレイから漂う香りに突進してきた年少組を足で押し退けつつ、ナミ達へ恭しく左手に掲げたトレイを差し出す。
「どうぞ。アッサムティーにブランデーを一匙。冷えた貴女達を温める愛のドリンクです」
「ありがと、サンジ君」
「ありがとう」
 受け取ったカップ越しに向けられた笑顔にへにょりと崩れた笑みを返してから、足で押さえ込んでいた年少組へもトレイを差し出す。
「お前等にはこっち。ホットミルクと焼き林檎。ありがたく食え」
 即座にトレイごと奪われ、自由を取り戻した右手をぷらぷらと振って苦笑したサンジに同じ表情で応えたナミは、彼がその場から動かない事に軽く首を傾げた。
「ゾロにはもう持って行ったの?」
「え?あ、あぁ〜〜・・・・」
 例え相手が誰であろうとも、コックとしての仕事を全うするサンジだと知っているからこその疑問。他意はない純粋な質問であっただけに、サンジは返答に窮した。

 何となく。本当に何となくだけれども、ゾロの傍に行くのは気恥ずかしいのだ。

 それは以前ゾロを避けていた時のように、焦燥や苛立ちの様な黒い感情ではなかったけれども、やりにくいのは確かで。
(だって普通、あんなん言われたら落ち着かねぇだろ・・・!)
 ナミへは完璧な笑顔を向けたまま、サンジは内心で頭を抱え絶叫していた。

「あんなん」とはつい先日、ゾロがサンジに向かって放った言葉だ。
『テメェはテメェのやり方で黙って隣を歩いてりゃいいんだよ』
 言った本人は大した意味も込めていなかったのだろうが、言われた側としてはとんでもなかった。その場は何とか取り繕ったものの、あれ以来ゾロの台詞を思い出す度にのたうち回りたい衝動に駆られるのだ。

(別に嫌だとかそー言うんじゃなくて、なんつーかな、もう・・・!)
 どうにもここ最近、自分はゾロに振り回されているのではないだろうか。悔しいとか悲しいとか嬉しいとか。大きな感情の振り幅には全てゾロが係わっている気がする。
 そんな恐ろしい想像をぶんぶんと頭を振って追い払ったサンジは、ナミの視線に気付いて慌てて取り繕った笑みを浮かべた。
「そ、それにしてもあいつ等、飽きもせずに一杯作りやがったなぁ」
「・・・・そうね?明日には冬島の海域を抜けるから雪なんて溶けちゃうって言うのに」
 自分でも不自然な話の転換だと思ったが、ナミは片眉を上げて見せただけで深くは追求してこなかった。その事に安堵と感謝を込めた溜息を織り交ぜて紫煙を吐き出す。
「そっか。溶けちゃうか」
 ぽつりと呟いたサンジは、手近な雪を掬い取って両手で固め始めた。
「なぁに?サンジ君も雪だるま作るの?」
「はは。ちょっと童心に帰ってみようかと」
 両手の中で半月形に固められた雪塊をそっと階段の隅に据える。本当は葉っぱと南天の実があればよかったんだけどねと笑いながら、その雪塊の上に細長く握った雪を二つ、小さく丸くした雪を二つ、乗せる。
「あ、雪うさぎ」
 小さく笑ったナミに「ご名答」と返して、サンジはナミとロビンから空になったカップを受け取りトレイの上に重ねた。
「でも本当は一匹だけじゃ駄目なんだけどね」
 背後では年少組が未だ騒いでいる。一応気を使ったつもりなのだろう、一纏めにされた食器が空になっている事に満足気な表情を浮かべながら、拾い集めに掛かる。
「なんで?」
 騒々しい音に混じって聞こえるナミの問い掛ける声。丁寧に食器を拾い上げながら、サンジは懐かしむ様に口を開いた。
「うさぎはクソ寂しがり屋だから、寒い夜に一人でいることに耐え切れなくて、仲間を探しに旅に出てしまうんだ・・・って」
 だから今作ったこいつも、明日にはいなくなっちまうかもね。くすりと笑って作ったばかりの雪うさぎを指し示したサンジに、ナミとロビンは口元を綻ばせた。
「素敵な話ね」
 それは雪が解けてしまって悲しむだろう子供を慰める為の優しい嘘でしかない。ただ、語った大人の愛情は疑いようも無く、彼女等の心をも温めた。


「へぇ。そんな話、初耳だな」


 そんなほんわかと和やかな雰囲気の中、突如割り込んだ声にサンジはびくりと肩を揺らした。過剰な反応を示した己を内心叱咤しつつ、それでも表面上は平静を装って振り返った先にいたのはゾロだった。階段の上から興味深そうにサンジの作った雪うさぎを覗き込んでいる。
 
雪に音を吸われて足音に気付かなかった。蘇る先刻の葛藤と今の不意打ちでばくばくと脈打つ心臓を必死で押し隠す。
「ゾロにはそんな情緒、関係ないものね〜」
「うるせ」
「あー・・・俺は夕飯の準備があるから〜」
 軽口を叩き合う二人の脇を、可能な限り素早くすり抜けてキッチンへと向かう。確かにある種の気恥ずかしさが残っているのは確かだが、別に逃げる必要は無かったのだとサンジが気付いたのは、ばっちり下拵えを済ませてしまった後だった。






 既に日常となっている怒涛の様な食事の時間が過ぎ、後片付けと朝食の下拵えが済んだのは深夜を過ぎた頃だった。上手く海流を掴んだお陰で、予定より早く夜半過ぎには冬島海域を抜けると言った航海士の言葉通り、宵闇を渡る風は切り刻むような厳しさよりも寧ろ包み込むような穏やかさを含んでいた。
「この分じゃ本当に溶けてなくなっちまうな」
 もう自分は幼い子供ではない。温かくなれば雪は溶けるものだし、そもそも軽い気持ちで作ったうさぎだ。なくなってしまったからと言って悲しいわけでもない。それでもたった一匹で夜風に耐えているだろう雪うさぎを見てみようと思ったのは、昼間の会話の名残だろうか。
 
風に流される紫煙を見送りながら軽い気持ちで向かった先の光景に、サンジは思わず煙草を取り落としそうになった。サンジが作った雪うさぎは変わらず階段の隅に鎮座している。

 サンジの目を奪ったのはその隣、不器用に作られたもう一匹のうさぎがひっそりと寄り添う姿だった。

 サンジのものよりも一回り大きく、でこぼこの表面。耳の大きさは不揃いだし瞳は離れ過ぎている。こんな不器用なうさぎを作るのは、恐らく一人しかいない。
「真に受けるか、フツー」
 寄り添う二匹の隣に腰をおろして、サンジはくつくつと肩を震わせた。ついと視線を上げれば、展望台には仄かな明かりが灯っている。
「一体どんな顔して作ったんだか」
 優しい大人の優しい嘘を真実だと思ったのだろうか。幼かった自分ですら信じる事の無かった優しい嘘を。

 冬島を通り過ぎてしまえばこの雪は間違いなく溶けてしまう。必然的に仲良く寄り添う雪うさぎ達も消えていなくなるだろう。その時自分は彼になんと言うだろうか。
 
そう、例えば「二匹でラブラブデートに出かけてしまいやがりました」とか。
 
そうして興味なさ気なふりをしておきながら、雪うさぎの不在にひっそりと落ち込んでいる彼が、隠れて安堵の息を吐くのを見て笑ってやるのだ。

 それは幼い頃に他愛もない悪戯を計画していた時のわくわくした気持ちにも似ていた。

 
せっかく気分が良いのだから、この所落ち着かない気分にさせられたり、驚かされたり、苛々させられたり、かと思えば妙に照れくさい気持ちにさせられたり、つまりは自分の心に全く平穏を与えてはくれない人物に何か差し入れてやろう。


 でこぼこした頭に少し垂れ下がった耳のうさぎを指先で軽く撫でてから、サンジは足取りも軽くその場を後にしたのだった。





お題16:「雪うさぎ」でした。

色々と思うところはあるけれども、ほのぼのしい二人です。
ま、たまにはね!(笑)
そしてゾロはこういうメルヒェンなお話を信じるタイプだと思いたい。

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