風薫る丘の上。
 鮮やかな花々が一面に咲き誇り、己の美しさを誇示する様に揺れ虫達を誘う。
 一羽の蝶が目移りしたのか花々の間をひらひらと舞い、やがて一輪の花の元へと辿り着いた。しかしようやく選び取った花は、白くしなやかな指に手折られ、再びひらひらと舞い踊る。
「素敵な場所ね・・・」
 蝶の安息の場を奪った手の持ち主は、摘んだ花を持ち上げうっとりと目を細めた。
 風に揺れる髪を見つめながら、サンジもゆったりと微笑む。
「どんな場所も、君の美しさには敵わない。この一面の花畑ですら、君の前では霞んで見えるよ・・・」
 その台詞に相手はうっすらと頬を染めて紅唇を綻ばせた。
「いやだ、もう・・・。サンジさんったら・・・」
 そうして握り拳を作る。
(ん・・・・?握り拳?)
 サンジが訝しく思う間もなく。
「恥ずかしいっv」

 どすっ

「ぐへっ!?」
 恥らいつつも強烈なボディブローを叩き込まれ、サンジは潰れた蛙の様な声を上げた。






「お。起きたか?」
 腹部を襲った衝撃に目を覚ましたサンジの視界に飛び込んできたものは、まだ薄暗い部屋、そして無造作に己の腹の上に置かれている黒いブーツ。それに続く足と徐々に視線を上げていくと、そこに腕組をして自分を見下ろしているこの船の剣士がいた。
「・・・・・・よう。マリモ君。目を開けてこの寝相とは大した特技だなぁ?」
「俺が寝てる様に見えるお前の目の方がよっぽど特技だな」
 口元を引き攣らせたサンジに動じる事無く返す。
 むっと眉を寄せたサンジは、ゾロの足を払い除けると煙草を取り出し、火を点けないままに銜えて起き上がった。これ見よがしにパタパタと服を払い溜息を付く。
「あーもう。せっかく素敵なレディの夢を見てたのに・・・」
「てめぇの残念な脳内に興味はねぇ」

 ねえ。俺は何で夜中に踏み付けて起こされた挙句、こんな暴言まで受けているんでしょうかね?

 色々と理不尽な思いに駆られながらも、寝起きの頭では効果的な反撃を思いつくことが出来ない。
 仕方なくサンジは、当面の疑問を解消する事にした。
「で、何の用。まさか寝ている野郎の腹を踏んで回る奇特な趣味があるわけじゃねぇだろ」
 唇に挟んだままの煙草をふりふりと上下に動かしながら問いかける。
「あー・・・・・・」
 踏み付けて起こしたくせに、あまつ暴言まで吐いてくれたくせに、いきなり気まずげに視線を逸らしたゾロに眉を寄せる。徐々に強くなるサンジの不機嫌オーラに僅かに身を引いたゾロは、観念した様に口を開いた。
「咽喉渇いた。冷たいモン、飲みてぇ」
 その台詞にサンジの顎が落ち、ポロリと煙草が転がる。
「はぁ?そんなのいつも冷蔵庫に俺がレモン水作って置いてあるだろ?勝手に飲めばいいじゃ・・・って。あ。」
 一気に言い募って、はたと言葉を切る。
 其処で漸くゾロが自分を起こした理由に気付き、意味もなく両手を彷徨わせた後、ぽんと手を叩き合わせた。

「鍵付きなんだった。冷蔵庫」

 新しい船になって念願の鍵付き冷蔵庫を手に入れた。当然ナミとロビン、そしてサンジ以外のクルー達は暗証番号を知らない。そういえば、今日は見張り用の飲み物を準備していなかった。ゾロが酒以外の飲み物を要求する事自体滅多に無い事なので、うっかり失念していたのだ。
 えへ。と小首を傾げて見せるサンジに「可愛くない。寧ろムカツク」と一刀両断したゾロが踵を返す。
「何でもいいから、くれよ」
「へーいへい」
 転がり落ちた煙草を拾い、サンジはゾロと共にキッチンへと向かった。



「へい。お待ち」
 冷えたレモン水を差し出してから、窓の外を眺める。空はまだ暗く、満天の星空だった。
 時計の針が示しているのは丑三つ時。夜明けには程遠い。
 しばし考え込んだサンジは、再びごそごそと冷蔵庫を漁り始めた。

「ごっそさん。悪かったな、起こして」
「ああ、待て待て」
 満足そうに息を吐いて、見張りに戻ろうとしたゾロを引き止める。訝しげに見返してきた男を再度席に着かせると、サンジは目の前にもう一つのグラスと小皿を並べた。
「今日は特別。飲み物を忘れた詫びだ。水割りとつまみ。ありがたく食え」
「・・・詫びの割りに、でけぇ態度」
 くつくつと肩を震わせたゾロは、皿の上に並べられたつまみを口に放り込み、グラスを煽る。
「ん。旨い」

 そして、破顔一笑。

 何時になく素直な反応に、動きを止めたサンジの指に挟まれた煙草が長い灰となってぽとりと落ちた。
 何だか物凄いものを見てしまった心持ちで、慌てて短くなった煙草を揉み消す。そうして片手で顔を覆ったサンジは低く呟いた。
「あー・・・。俺、今ちょっと猛獣の飼育員の気持ちが分かった気がする・・・」
 顔を覆ってしまったせいでくぐもった声を聞き取れなかったのか、ゾロが首を傾げる。それにひらひらと手を振って誤魔化すと、上着から煙草を取り出し、銜える。



 良く分かんねぇけど、何だか悪くない、よな。 



 偶になら、飲み物の準備を忘れてもいいかもしれない。
 そう考えてサンジは、鍵付き冷蔵庫の意外なオプションに密かに笑みを零す。

 だが今は取りあえず。

「何か欲しい時には作ってやるから、踏んで起こすのは止めろよな」

 妥協案を提示しておこう。

 素直に頷いたゾロに満足して今度ははっきりとその笑みを口元に浮かべると、サンジは煙草に火を点け、紫煙を深く肺の中に取り込んだ。

                                     END   



お題3:冷蔵庫 でした。
やっぱり餌付けから始まるのか、この二人。

では、最後まで読んで下さって有難うございましたv
(’08.4.23)

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