その人物の行動がおかしいのはいつもの事だったから。
 特に気にする必要も無いと思っていた。




「あっちー・・・・」
 上気した肌から湯気が立ち上る。肩に掛けたタオルでガシガシと髪を拭きながら浴室の扉を開いたゾロは、壁に掛けられている時計にちらりと視線を投げかけた。
 時計の針は既に深夜といっても良い時間を指しており、入浴してから思いのほか時間が経っている事を知らせている。

 ちょっとのんびりしすぎたか。

 そんな考えが脳裏を掠めていったが、別に自分が最後だったのだし、と早々に切り捨てて、次に浮かんだのはこの後どうするかという逡巡だった。
 出来れば酒を飲みたい。しかしキッチンの主が居なければ後々にくだらない因縁をつけられて面倒臭い事この上ない。
 素直な欲求に従う事で得る満足感と、従ったが故に失われるであろう精神的安寧と。秤に掛けてゾロは低く唸る。
 何にしても汗という形で大量の水分を失った身体には補給が必要だ。取り敢えずは水を一杯飲み、その後の事はその時考えよう。そう結論付け足を踏み出す。
 大体、どうして自分はこんな事でいちいち悩まなくてはならないのかと首を傾げながら。





「随分とごゆっくりだった事で。茹マリモが出来るんじゃないかと心配したぜ」
 扉を開くと同時に降りかかってきた声に、右斜め下に落とされていた視線を正面に向けると、其処には先程その所在について思い浮かべた人物が立っていた。
「何だ。居たのか」
 いるなら別にあんなに色々と考える事は無かった。本の数秒の逡巡でしかなかったくせに何となく無駄に貴重な時間を消費した気がして軽く舌打ちすると、それを別の意味で受け取ったのか目の前の料理人の表情が途端に険しいものへ変化する。

 しまった。

 自分の迂闊な行動のせいで精神的安寧にも別れを告げなければならないらしい。浮かぶ汗を拭う序でに口元にタオルを当て今更ながらに溜息を隠す。


 兎に角この男は面倒臭い。


 それがゾロのサンジに対する印象だった。
 出会った当初は特にそれが強かった。何かにつけてゾロと張り合い、絡んでくる。同年齢のせいかゾロ自身も軽く流す事ができずについその喧嘩を買ってしまい、仕舞いには二人でナミの拳に沈められたのも数え切れないほどだ。
 それでもお互い慣れて来た頃はまだマシだった。昼間こそ飽きもせずに乱闘にまで発展していたが、夜には何となく酒を酌み交わし世間話をする等多少の歩み寄りも見られていたのだ。
 それが再び険悪とまでは行かなくとも、二人で酒盛りといった関係でもなくなったのは最近の事。


 何か言いたげに口を開きかけた料理人に向かって軽く手を振り、何時の間にか食事の時の定位置となった椅子に腰を下ろしたゾロが水を要求すると、サンジはそれ以上口に出さず背を向けた。
 その背中を見遣り、いったん中断した思考を再始動させる。
 

 そう、多分関係が逆戻りしたのはあの嵐の夜からだ。


 風の強い夜。嵐の夜。いつも魘されているくせに、態と自分では見ない振りをしていた男が妙に気に障って声を掛けた。我ながらお節介だとは思ったが、いい加減前に進めと言いたかった。
 思ったからには即行動。自分の行動が相手にどう影響したかまでは知らないが、少しはマシな顔になっているのを見て、これで漸く落ち着けると思っていたのに。

 仏頂面のまま水を差し出す男の顔をちらりと見上げ、黙って受け取る。
 一気に飲み干すと咽喉を冷えた感触が流れ落ち、全身に水分が染み渡っていくような錯覚にゾロは大きく息を吐いた。
 一つの欲求が満たされれば、間を空けずに次の欲求が湧き上がってくる。

「なあ、酒」
「・・・・・・・・・・・一杯だけなら」
「お前は?」
「俺はもう寝るんだよ。ざるマリモに付き合えるか」

 手の中のグラスを奪われ、次いで渡された琥珀色の液体が満たされたグラスに視線を落とすと、揺れる表面にいかにも不機嫌そうな男の顔が映っている。「そうか」と口の中で呟いたゾロはそれ以上は何も言わず、大人しくグラスを傾けた。
 その様子を黙って伺っていたサンジが鼻を鳴らし、キッチンを後にするのを横目で見送る。扉が閉まると同時に吐き出した吐息は、我ながら重いものだった。

「面倒臭ぇなぁ・・・・・」

 テーブルに肘をつき顎を支える。その時視界の隅に映った白いものに目を向けると、其処にはいつの間に置かれたのか、小皿に盛られたツマミ。手を伸ばし引き寄せ、口に放り込んだ所でゾロの思考は再び動き出した。


 そうだ。関係が逆戻りしたんじゃない。
 ただ一緒に飲まなくなっただけだ。
 そして。




 あの男は自分を避けようとして、避けきれずにいる。





 何か言いたげに寄って来る事がある。結局何を言うでもなく、適当な悪態をついて離れていくばかりだったが。
 逆にゾロから近寄っていけば「近付くな」と吐き捨てる事もある。そうかと素直に離れれば、何とも言えない視線が背を追ってくることもしばしば。かと思えば、わざわざ展望台に篭っている自分の許におやつを持ってきて、食べ終わるまで傍に居る事もある。

 矛盾だらけの行動。
 奇妙な男だと思った。

 それでも、その男の行動がおかしいのはいつもの事だったから。
 特に気にする必要もないと思っていた。

 否。今でもそう思っている。己の夢を行動を、邪魔しない限りは適当に合わせて軽く流して。当たり障りのない関係を続けていけば良い。
 其処まで考えた所で、グラスも小皿も空になっていることに気付く。

「あー・・・もったいねぇの」

 味わう暇も無かった。
 椅子の背に身体を預け、大きく仰け反ると逆さまになった視界にキッチンの扉が映る。
 
 その扉が開いて、いつも暑苦しいスーツを纏った男が顔を出さないか。皮肉気な口元に銜えた煙草を燻らせて「やっぱり俺も飲ませろ」とやけに偉そうに告げてこないか。
 気にする必要も無いと思いながら、そんな事をボンヤリと考える。



 しかし、待っていたところでその扉が開く事は無かった。



「アホくせぇ。あんな面倒臭ぇ奴、いねぇ方が良いじゃねぇか」
 吐き捨てるように呟いて立ち上がり、シンクに置かれた水を張った桶の中にグラスと皿を放り込む。

 そう。気にする必要も無い。矛盾だらけで面倒臭い男の事など。

 言い聞かせる度に、それは相手の事を気にしているのだと。
 気付かないままゾロは展望台に向かう。






 近付くなと言いながら、自分から近寄ってくる男と。
 気にする必要が無いと思いながら、相手の行動を伺う男。





 同じで異なる矛盾を抱え込んだ二人を乗せたまま。
 サニー号は悠然と波を掻き分け、偉大なる航路を進んでいく。


お題6:矛盾 でした。
サンジサイドばっかりだなぁと思ってゾロサイドを。
・・・なんか軽くイラっときますよね、この二人。
でも多分まだまだぐるぐるします。
イラっとしつつお付き合い下さると嬉しいです^^;;; 

では、最後まで読んで下さって有難うございました!
(’08.5.22)

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