指先にぷっくりと盛り上がった紅い液体。
 その中に、過去の映像が浮かび上がったと言ったら。

 重力に逆らえずに指を伝って滴り落ちる。
 その流れに、忘れかけていた衝動を思い出したと言ったら。


「何の意味があるんだよ」
 言って笑ってくれたりしないだろうか。







 見習いのコックじゃあるまいし、と苦い気持ちでじくじくと痛む指先を見つめる。
 捌いていた魚は海面から飛び出し大きく広げた鰭で宙を舞う特性を持っている。その見の半分以上の長さを持つ鰭は先端が鋭く尖っており、上の空だったサンジの指先に易々と食い込んでくれたのだ。
 自分を食するつもりならもっと気合を入れて捌けと、目蓋を持たない丸い瞳が訴えているような気がして、その視界を遮る様に無傷な方の手でまな板の上で寝そべる魚の頭部を覆い隠す。
 逃れた視線に安堵し無意識に痛む指を口元に運びそうになって、慌てて静止したサンジは目の前に持ち上げた指先が紅く染まっているのに気付いた。

 ぷっくりと盛り上がる紅い玉。少しずつ大きくなっていくそれは、とうとう耐え切れずに形を崩し指の腹から付け根に向かって流れ落ちていく。
 細い細い流れは次第にサンジの視界を侵食し、紅い色は周囲の色を打ち消し鮮やかに浮かび上がる。



 そして、訪れた既視感。



 ああ。血だ。



 玩具の様な刃を飲み込んだ胸から流れ落ちる雫。
 左胸から右の脇腹にかけて切り裂かれた傷口から噴き出した色。

 血を「血」だと。認識したのはあの時が初めてかもしれない。
 あいつを「あいつ」だと認識したのと同時に。

 それからというもの、「あいつ」はいつも紅いイメージだった。

 「血」は「あいつ」
 「紅」は「あいつの色」

 隣に立っていると、思っていた時期はそれが普通。
 ・・・・だった気がする。


 蛇口を捻り、勢いよく流れ出した水に傷口をさらす。
 紅い流れは失われ、目に映るのは血の気を失って白っぽくなった自分の指先。

 小さな傷は既に血が止まっている事にも気付かないまま、サンジはその光景を凝視していた。







「何ボンヤリしてるんだ」
 不意に目の前を横切った腕にびくりと肩を揺らす。
「ゾ・・・・・」
 水流を止めたむき出しの腕に心臓が跳ね上がる音を聞いたサンジは、大きく喘いでその人物の名前を呼ぼうとした。

「全く〜あんまり水の無駄遣いするとナミに怒られるぞ〜?」
 あれ?何だ、怪我したのか?大丈夫か?

 淀み無く言葉を連ねて心配そうに覗き込んできたのはサンジが思い浮かべた人物ではなく、特徴的な鼻の持ち主だった。
 よくよく見れば目の前の腕は細く、しなやかな筋肉の付いたあの剣士の腕とは全く違う。

 何を期待したんだ。俺は。

 皮肉気に笑おうとして失敗したサンジの表情は如何にも滑稽なものだっただろう。しかし人の良い狙撃手は、軽く首を傾げただけで何も追及しては来なかった。
 痛むのか?チョッパー呼んでこようか?重ねて問われ、漸く我に返る。
「ああ、問題ない。ちょっと掠っただけだ」
 口元を無理矢理引き上げて、何とか笑みを形作る。
 そうか、と流したウソップは香辛料を並べている棚へと歩み寄り、タバスコの瓶を取り出してサンジの方を振り向いた。頷く事で許可を示すと、にっこりと笑って自分の工場へと向かう。

「問題ない。・・・・・ってゾロみたいだな」

 深い意味は無かっただろう、笑いながら告げたウソップの言葉に、今度こそサンジは誤魔化し様が無いほどに表情を強張らせた。
 幸い、背を向けていたウソップは気付かないまま扉に手を掛ける。開かれた扉から差し込んだ光が、出て行く背中を包み酷く眩しかった。


 ああ。今、あいつの色は紅じゃ無いんだ。


 静かに閉じられ、光を遮った扉を目を細めて見遣ったサンジは、小さく息を吐いた。


 今、自分は隣に立っていないのだ。
 何時の間にか置いていかれ、目に映るのは白い背中ばかり。
 決して傷を負わない背中しか見えなくて、あの鮮やかな色は何処にもない。


 のろのろと己の手を見下ろす。
 既に出血は止まり、訪れた既視感も消え去ってしまっていた。

「そうか・・・・・。だからなんだ」

 隣に立って、共に戦って。そして共にそれぞれの夢を追う。その立ち位置がずれて、自分が一歩遅れているような気がするから。
 だから、あんなにあの男が気になるんだ。
 だから、己の血にこんな馬鹿げた幻覚を見る。



 自分の血に見た光景を伝えたら、あの男がどんな反応を返してくれるかなどと。



 だったら何も複雑に考えたりせずに、自分の夢を追えば良い。そうすれば、この良く分からなかった感情も消えて無くなるだろう。

 一人納得して、サンジはポケットから煙草を取り出して銜えた。
 もう料理中に怪我をすることも無いだろう。万が一したとしても、流れる血の中にあの光景を見ることは無い。

「そうさ。問題ない」
 嘯いて、サンジは中途だった料理を再開すべく包丁を手に取った。



 銜えた煙草に火が点けられなかった事に。
 嘯いた言葉は、見えない、見たくない自分の心に更に蓋をしてしまったのだと言う事に。


 気付く事が、出来ないまま。






お題9:血 でした。

逃げたよ。サンジ。
うわ、ほんとイラっとくるな(笑)
もし宜しければ応援してやってください。このサンジ。
私には無理なので(爆)いや、私のせいなんですけども!
ああ〜もう。どうするつもりなんでしょうね、彼は。

では、最後まで読んで下さって有難うございました!
(’08.6.8)

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