例えば巨大な蛇がいたとする。

 巨大過ぎるが故に誰にも手出しが出来なかったとしても、その蛇の頭が理知的であり理性を保っていたならば共存も可能であったかもしれない。いや、事実共存していたのだ。人々は蛇を恐れ遠巻きにしながら。大蛇は人の群れから逸れた獣を食みながら。

 ではその頭が何らかの原因で失われたとしたら。

 
残された身体は迷走しながら千々に別れ、それぞれに新たな頭を再生する。そして共食いを始めるのだ。己が身を肥え太らせるために。

 ただ違うのは。
 自身を育てる目的が権力であるか金であるか、または全く別のものであるかという事だけだった。



  埋火



「よう。久しぶり。ご機嫌いかがこのクソ野郎」
 自室の扉を開いた瞬間軽い調子でかけられた声に、ゾロシアはそのまま無言で扉を閉じた。

 視界を遮る分厚い板から2歩下がって、腕時計に目を走らせる。
 午前1時。様々な雑務を終えて部下への指示も出した。束の間の休息を得る為に訪れたこの場所は、確かに自分の部屋だ。
 扉に視線を戻して軽く息を吐く。再び開いた扉の先には、先程と同じ人物が窓辺に凭れてこちらを見ている。

「生憎と幻じゃないんで。扉を開き直しても消えねぇんだな。これが」
「・・・・・・またテメェか・・・・・・」

 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべた相手に、ゾロシアは不機嫌さを隠そうともせず低く呟いた。

 まったく悪びれた様子も無く「そう俺。会えて嬉しいだろ?」と嘯いた男は、闇に映える金色の髪を後方に撫で付け、片方の前髪だけ下ろしている。隠された左目は間違いなく露わになっている右目と同じ様に、蒼く鋭い眼光を放っているだろう。
 黒いスーツを身に付けてはいるものの、およそ夜間の隠密行動には向いていない色彩の持ち主であったが、今現在見張りに見つかる事も無くゾロシアの部屋に居る。
 おそらく忍び込んだのは此処からだろう。開かれた窓から流れ込んできた夜風が、金糸を揺らした。

 見張りは何をしていたんだと内心忌々しい気持ちだったが、この男は見かけによらず様々な面で侮り難い。部下の不手際を責めるのは酷というものだろう。
 面倒臭い。ついでに言えば煩わしい。かくなる上はさっさと要件を済ませてしまおう。
 そう割り切ったゾロシアは、無造作に中央にある椅子に歩み寄り腰を下ろした。

「マフィアのボスがテメェんとこ放り出して良いのかよ。ああ?サンジーノ?」
「あー?大丈夫大丈夫。俺んトコは個人の判断に任せてんの。いちいち確認を取りに来るゾロシア様のトコのお堅い部下とは違うわけ」

 何処までも人を喰った様なサンジーノに小さく舌打ちする。
 確かにサンジーノの言う通り、彼の組は機動力に関しては群を抜いている。そのためゾロシアが一歩出遅れる事も多々あったが、代わりに打撃力では勝っていた。
 ゾロシアとサンジーノ、それに加えてルフィオーネ等他2,3組のマフィア。現在この界隈には多くのマフィアが存在するが、その中で頭角を現しつつあるのは彼らであった。
 よく言えば好敵手。悪く言えば商売敵。ただ、ゾロシアが忌々しく思うのはその事ではない。

「しっかしお前もマフィアらしからぬ義理堅さだよなぁ?先代が死んじまった後をクソ真面目に引き継いでるなんてな」
「はっ。なら先代がいなくなった途端にあっさりと飛び出していったテメェ等はマフィアらしいってか」

 そう。元はすべて一つであった。先代のボスは界隈全てを取り纏め、支配していたのだ。余りの強大さに警察や軍も警戒してはいただろう。しかし積極的に取り締まりや摘発をしなかったのは、先代が決して麻薬や人身売買、そして一般人への手出しをしなかったからに他ならない。
 そんな先代をゾロシアは尊敬していたし慕ってもいた。だからこそ先代がいなくなった途端に多くの輩が飛び出した後もその場に留まり、失いかけた力を取り戻すために尽力した。同時に麻薬等に手を出したかつての仲間も容赦なく叩き潰した。
 マフィアらしくないと言われればそうかもしれない。だがゾロシアにとっては当然の事だった。それをあっさりと出て行った側のサンジーノに言われたくはない。
 ぎり、と睨み付けたゾロシアの鋭い視線に怯む様子もなく、サンジーノは涼しい顔で受け流した。

「俺が出て行った訳はな。テメェがここに残ったからだよ」
「・・・・・ああ?」
「残ったテメェは間違いなく頭に持ち上げられる。テメェがボスで俺が部下だったら手に入らねぇじゃねぇか」
「なんだと?」
「欲しいモンはどんな手段を使ってでも奪い取るって事さ」

 話題の展開に付いていけずに眉を寄せるゾロシアに、僅かに口元を歪める。

「こんな商売やっててよ。一番実りがいいのはヤクと人間物資さ。けど俺はそれには手を出さない。何故だか、分かるか?」
「・・・・・・」
「手を出しちまったら最後、俺の欲しいモンは手に入らないからさ。なぁ?クソ真面目なマフィアのボスさん?」

 語りながら大げさな身振りで歩み寄る。椅子に深く腰掛けたゾロシアは、脚を組み些か呆れた様に息を吐いた。


「テメェの、欲しいモンは何だ?」
「今ここでえらっそーにふんぞり返ってる緑頭の、アホみてぇに義理堅くてまるで可愛げのないクソ野郎」

 ゾロシアの上に影が降りる。片膝を乗せて掛けられた体重に、木製の椅子がぎしりと悲鳴を上げた。
 覆い被さる様な体勢のサンジーノの視線と、それでも尚微動だにしないゾロシアの視線が交差する。
「それで?ここに何しに来たんだ」
「だからテメェを手に入れに。と、言う事で」
 およそ愛の告白の現場とも思えない冷えた空気が流れる。
 
表情を変えもしなかったゾロシアに落胆するでもなく、サンジーノは淡々と告げた。

「手段を選ばない俺としては、テメェを殺したいと思うんだがどう思う?」



 至極真面目な問いかけに、いっそ笑ってしまいそうだった。




「欲しい奴を殺すのか?」
 結局笑う事は止めたゾロシアが、取り敢えず当然ともいえる疑問を投げかける。しかし逆にその問いはサンジーノにとって不可解なものであったらしい。すい、と目を細めた彼は、どこか不機嫌そうであった。
「だから言っただろ?俺は。お前を。手に入れられればそれでいいんだよ」
「だったらテメェに俺は殺せない」
「ばぁか」
 はっと鼻で嗤ったサンジーノが迷いのない動きでゾロシアの咽喉を掴む。

「何を聞いていたんだよ。誰が『生きている』なんて条件を付けた?」

 挑発的に唇をちろりと舐めるサンジーノの青白く凍て付いた視線を受けても、ゾロシアの瞳は揺るがなかった。

 徐々に咽喉に宛がわれた手に力が込められても意に介さず、ゆったりと口の端を持ち上げてすらみせた。
「じゃあ大人しく待ってな。遅かれ早かれ、いずれ何処かで俺は死ぬ。その時テメェが生きていたら好きにしろ」
 皮膚に食い込む指先を感じながら、己の手を添えて軽く押し遣る。込められた力の割にあっさりと離れていった白い手は次の瞬間素早く翻り、再び向けられた時には黒く無機質な物体を握り締めていた。
 ごり、と冷たい銃口がゾロシアの額に押し付けられる。

「ほんとに馬鹿だな。お前」

 嘲笑う様な声音に片眉を持ち上げると、サンジーノは呆れた表情を装って口元を歪めた。
 押し付けた銃口はそのままにぐっと身を屈めて己の顔をゾロシアに寄せる。
「ああ。確かに俺はお前が生きていようが死んでいようが、手に入ればそれでいいんだぜ?けどな。それはお前が他の誰かや、運命だの寿命だのそう言った不確かなものに殺されてもいいって意味じゃねぇ」
 触れる程に近付いた唇で囁く。

「俺が、お前を殺すからこそ意味があるんだよ」

 視界を占める蒼い瞳が僅かに細めらると同時に唇に鋭い痛みが走り、ゾロシアは眉を寄せた。
 
口の中に鉄錆の味が広がる。
 上体を起こし、唇に張り付いた赤い雫を舐め取ったサンジーノは、満足そうに笑んだ。
「・・・・ん。思った通り。サイコーだね、お前の血」
 じわじわと滲み出る血もそのままに睨み付けて来るゾロシアの口元を指先で拭い、それも口に含む。


「相手が生きていなければ手に入れた意味がない、なんて嘘だ」

 お前を殺すのが俺なら。
 死ぬその瞬間にお前の目に映るのは俺であって。
 死ぬその瞬間までお前が考えるのは俺の事で。
 誰も二人の間に入る事なんて出来ない。

「ああ・・・そうだな。お前が生きている間に俺のものにならないんなら、やっぱり今殺しておこうか」


 低く呟いたサンジーノの瞳に暗い影が宿る。そこに狂気は一片も存在しない。ただ純粋に、己の欲するものを手に入れようとする想いがあるだけだった。
 カチリと撃鉄の上がる音が響く。引鉄にかけられた指にゆっくりと力が込められる。


「それでも、テメェに俺は殺せねぇ」


 静かに告げられた言葉に、サンジーノの肩が僅かに震えた。
 あと少し。ほんの少し指先に力を入れられれば彼の命はあっけなく散らされる。それが理解出来ない筈もないだろうに、ゾロシアは酷く落ち着いた表情でサンジーノを見詰めていた。
「・・・・・そうかよ」
 短く返すと、サンジーノは一気に引き金にかけた指に力を込める。

 
ガゥンッ!!

 響く銃声と、漂う硝煙の匂いと。
 その中に血潮の香りは混じってはいなかった。

 すぐ脇を銃弾が通り過ぎても、ゾロシアは眉一つ動かさなかった。ちらりと風穴の開いた椅子の背凭れを見遣ってから、目の前の男へと視線を戻す。
たった今銃を撃った男は、興味をなくした玩具を弄ぶ様にくるくると指先で回しながら、酷く詰まらなさそうな顔をしていた。ゾロシアの視線を受けて、わざとらしい溜息と共に肩を竦めてみせる。

「それ、分かって言ってんのか?」
「さぁな」
「だろうな」

 ほんとに嫌な男だよ、お前は。
 今度は本気で舌打ちをしたサンジーノに、ゾロシアは無言でにやりと笑って返した。

 屋敷の中で銃声がすれば当然、部下達は慌ててこの部屋にやってくるだろう。実際、騒がしい足音が複数近付いてくる。
 拳銃を懐にしまい、開け放したままだった窓に足をかけたサンジーノがくるりと顔だけ振り返る。
「タイムオーバーだな。今日の所はこれで退散してやるよ」
 どんどんとゾロシアの名を呼びながら扉を叩く音を背に、その場を去ろうとした侵入者は、いきなり腕を引かれて抗う術もなくよろめいた。

 抗議の声を発しようと開いた口に降ってきたのは、僅かな温もりと。
 そして、鋭い痛み。

「・・・・・・・不味い」

 心底嫌そうに口元を拭って唾を吐く様子に、咽喉の奥から競り上がってくる笑みを必死で堪える。
 先と同じ様に唇に付いた雫を舐め取ると、男の言う通り大して美味しくもなかった。
「いつか美味いと感じる時が来るさ」
「来るか、阿呆。とっとと去ね」
 吐き捨てて扉へと踵を返したゾロシアは部下達に何と言って誤魔化すのだろうか。少しだけ愉快な気持ちになったサンジーノだったが、まさかその場に留まる訳にもいかない。
「今度会う時までに、希望の殺され方を考えときな」
 無防備そうで隙のない背中に向かって小さく呟き窓を飛び越すと、闇の中へと身を滑り込ませたのだった。





「ボス!銃声が!大丈夫ですか!!」
「・・・・問題ない」
「しかし・・・!」
 駆けつけた部下は、開け放たれた窓と明らかに銃弾を受けて破損している椅子に視線を走らせて口籠る。
 確かに説得力はないだろう。自覚しながらも、ゾロシアは同じ言葉を繰り返す。そう言われてしまえば、彼等としては引き下がるしかない。
 しぶしぶながらも退室した部下に労いの言葉を掛けて扉を閉めたゾロシアは、ずかずかと大股で室内を横切り窓を閉める。夜風を受けて揺らめいていたカーテンが、力を失ってくたりと垂れ下がった。

「何が希望の殺され方だ」

 
惨めな風穴を開けた背凭れに指を這わせて鼻を鳴らす。
 傷付けられた唇の血は既に止まっており、引き攣るような痛みだけが残っていた。

「テメェに殺される前に、俺がテメェを殺してやるよ」

 生きていても死んでいても構わないと言ったくせに、殺す事しか考えていない馬鹿な男と。
 殺されないと知っていながら、その言葉を受け取る愚かな己に。





 愛なんて生易しい感情は似合わない。




28000カウントリクでございます。
リク内容は「マフィアでサンゾロ」

・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・マフィアでサンゾロ?

とか自分で書いておきながら首を傾げる結果になりました、よ・・・。
マフィアってどう書けば良いの。殺伐ってナニ。いや、殺伐まではリクには頂いてなかったんですが。
色々と初挑戦のこのリク。頂いた時には「うっわー!マフィアキター!たーのーしーみー!!」とか浮かれていたのが嘘のようです。orz

あずみ様。散々お待たせした挙句に、このような作品で申し訳ありませんー!!
えええっと受け取ってくだされば幸いです。

こちらはリクを下さったあずみ様のみDLFです。
(’09.3.25)

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