eighteen  years  ago  today

 

   「おめでとうって言って」

   「はぁ?」

   何の前振りも無く突然突き付けられた言葉に、ゾロは訳が分からず気の抜けた声を上げた。

 

    その日、夜の見張りはゾロの番だった。空に広がる満天の星と、ささやかな光で海面を照らす下弦の月を何とはなしに見つめていたゾロは、
   見張り台に近付く気配に気付いた。

    口は悪いが、夜の見張りには必ず夜食を持ってくる料理人を思い浮かべ、近付く気配はきっとそれだろうと思っていたゾロの目の前に現れたのは、
   金色の髪ではなく、爽やかな香りを漂わせるオレンジと同じ色をした髪の持ち主だった。

    珍しい訪問者に、どうした、と声を掛ける間も無く、投げ付けられたのはその言葉だった。

 

   「いいから。おめでとうって言いなさい」

    訝しげに視線を投げかけてくるゾロにナミは尚も言い募った。細く整えられた眉を僅かに寄せ、腰に手を当てたナミは、どこか不機嫌そうだった。

    こんな時のナミには逆らわないほうが良い。

   これまでに培われた経験から、そう結論を出したゾロは所在無げに持ち上げた手を当てた首を軽く傾げ、ナミの瞳を覗き込む。

   「オメデトウ」

    些か棒読みになったその言葉を受け取ったナミは、軽く鼻を鳴らすと不機嫌な表情のままゾロの隣へ座った。ぎゅっと抱え込んだ膝の上に顎を乗せ、前を見つめる。

    訳が分からないまでも好きにさせていたゾロだが、その細い肩が微かに震えているのに気付いた。夏島の海域で風も弱いが、夜半過ぎともなればさすがに空気が冷たい。

    自分用に持ち出していた毛布をナミの肩に掛けてやると、途端、驚いた様に見上げてくる琥珀色の瞳に苦笑を浮かべる。

   そんなに自分はらしくない行動をしただろうか。

   「風邪引いたら面倒だろうが」

   「そういう奴よね、あんたって」

    しかし、掛けられた毛布に顔を埋めるナミの眉間の皺は無くなっており、纏う雰囲気も柔らかいものへと変わっていた。

    そんなナミの頭をぽんぽんと軽く撫で、それからゾロは無言のまま視線を海へと向けたのだった。

 

 

 

    穏やかな波の音と儚げな月の光に浮かび上がる一隻の船。そしてその船には余計な会話など交わさずに静かに寄り添う男女。

   ナミは海を見つめるゾロの横顔を眺めながら、まるで何かの物語の中に出てくる光景のようだと思った。

 

    時々ゾロは、ひどく優しい。

    例えば落ち込んでいる時。例えば一人になりたくない時。例えば何かに押し潰されそうになって苦しい時。

    その優しさは与えられる。

    訳を聞くこともせずにただ黙って頭を撫で、傍に居る。そうして、相手が落ち着いた頃に鮮やかに笑って背中を押してくれるのだ。

 

    何時もなら嬉しい筈のその優しさが、しかし、今日は何となく腹立たしかった。

   「・・・・理由。聞かないの?」

   「別に」

    話したければ話せばいい。言外にそう告げるゾロの横顔はいつもと同じ飄々としたものだった。

 

    時々ゾロは、ひどく優しい。

    そしてその優しさは、時々ひどく残酷だ。

 

   「サンジ君だったら、良かったのに」

    呟いた言葉に片眉を器用に上げたゾロは、そりゃ悪かったな、と憮然として見せる。それでもその声はちっとも不機嫌そうではなくて。
   掛けられた毛布を引き上げながらナミはくすくすと笑った。

 

    いつもいつもサンジは、ひどく優しい。

    そしてその優しさは、いつもいつもひどく残酷だ。

    サンジの鬱陶しい位の優しさは誰にでも同じだけ与えられていて、誤解しないでと、本気にならないでねと語りかけてくる。

    だからサンジの優しさはひどく残酷だけれども、同時に安心するものでもあった。

    本気にならないから、本気にさせてくれないから、思いっきり甘えていられる。

 

   「ほんと、サンジ君だったら良かったのに」

    再び呟いた言葉に、今度は軽く頭を小突かれた。

    痛い、と抗議して睨み付けた琥珀色の瞳に翡翠色の瞳がぶつかる。それは呆れた様な、宥める様な、包み込む様な色をしていたから。

    ナミは引き寄せられる様に手を伸ばし、人差し指の背でそっとその目元に触れてみた。それから左耳に揺れるピアスを弾いてみる。
    三連のピアスはぶつかり合い、涼やかな音を立てた。

    何度もそれを繰り返す細い手に、一回り大きい無骨な手が重なり耳元から下ろされる。離れてしまったピアスに軽く落胆して、摑まれたままの
   暖かい手に僅かに安心して、ナミは笑った。

 

   「今日の夕飯は、サンジ君が特別製のケーキを焼いてくれるのよ」

    大きい手を握り返し、言葉を紡ぐ。

   「ルフィは夕飯に出るお肉で一番大きいのを私にくれるんですって。ロビンは面白い本があるからそれをくれるって言ってくれたし、ウソップとチョッパーは
   何か作ってるらしくて私を工場に入れてくれなかったわ」

    一旦言葉を切り、ナミは握り締めたゾロの手を見下ろした。ごつごつした大きい手。

    野望を掴み取る為の、刀を握る為の、力強い手。その手が今は自分の手を握っている。

    華奢な自分の手を握り潰さない様に、優しく。

   「もう日付は変わったわ」

    瞳だけ持ち上げてゾロを覗き込み、始めに求めた言葉の意味を伝える。

 

   「今日は、私の誕生日よ」

 

    告げられた言葉に、ようやく納得したといった表情を浮かべたゾロは、空いている手を持ち上げ再度ナミの頭を軽く撫でた。

   「おめでとう」

    先程の棒読みの台詞とは違う、真実気持ちを込めた言葉に、ナミはくすぐったそうに微笑んだ。

 

    きっとゾロは気付いてないだろう。頭を撫でる手の心地良さに目を細めながらナミは思う。

 

    何故今自分が言葉を強請りに来たのか。

   きっとゾロは気付いていない。

   黙っていても今日の夕方には与えられる言葉を、わざわざ今強請りに来た理由を。

   誰よりも、何よりも先にゾロからの言葉が欲しかった、その理由を。

 

    気付かないまま、求められた言葉を口にするゾロに嬉しいと思う反面、ほんの少し胸が痛んだ。

 

    ふと離れていく温もりに顔を上げたナミは、顎に手をあて何やら考え込んでいるゾロの様子に首を傾げる。どうしたの、と問い掛けようと開いた口は、
   次に告げられた言葉に発すべき台詞を失った。

 

   「ありがとう」

 

    突然寄越された感謝を示す言葉に、意味が分からず今度は反対側に首を傾げる。

   「何?どういう意味?」

   「ん・・?いや・・・」

    顎に手を掛けたままちらりとナミを見やったゾロは、がりがりと頭を掻いて視線を逸らすとゆっくりと口を開いた。

 

   「俺はお前にやれるモンが無ぇんだ」

   「そんなの、分かってたわよ」

    贈り物を何も用意していないと、ばつが悪そうに告げるゾロにナミは呆れた顔をしてみせる。

    予想の範囲内だ。前もってプレゼントを準備しているゾロなど想像が付かない。それよりも、それが何故先程の言葉に繋がるのかが分からなかった。
   だからじっとゾロの言葉を待つ。

 

   「だから。感謝の言葉を送る。お前が生まれた日に。生まれてきてくれた、十八年前の今日に」

 

    ありがとう。

 

    繰り返される言葉に、目頭が熱くなり、鼻の奥がつんと痛む。膝を抱え込み毛布に顔を埋めたナミに慌てた様なゾロの声がしたが、溢れてくる涙を
   何とか止めたくてぎゅうぎゅうと力一杯膝を抱きしめた。

 

    生まれてきてくれてありがとう。

 

    使い古された陳腐な台詞は、なんて暖かくて優しいんだろう。

    そして。

    そんな台詞を寄越してくる男は、なんて。

 

    毛布に顔を埋めて肩を震わせるナミが泣いているという事は、ばれてしまっている。このままで居ればきっと隣の男は慰めてくれるだろう。
   そんなナミの予想を裏切る事無く、軽く溜息をついたゾロは震えるナミの肩を抱き寄せ何度も髪を撫でた。

 

    ほら。

 

    涙を流したまま隠れてナミは笑う。

 

    ほら。

    時々ゾロは、ひどく優しい。

    そしてその優しさは、時々ひどく残酷だ。

 

    そんな気は無いくせに。本気になられたら困るくせに。

 

   普段は飄々と何の興味も無い様に振舞って、突然こんな優しさを示してみせる。

    サンジの様な予防線も何も無い優しさに、誤解してしまいそうになる。特別に思ってくれているのかと、期待してしまいそうになる。

    けれど、彼にはそんな意味は無いのだ。あるのは、ただ純粋な優しさ。

    きっと今迄にその優しさを見せられて胸を躍らせた女性達は、次にそんな意味は無いのだという事を思い知らされて深く傷付いた事だろう。
   或いは、気付かないまま思いを募らせている人もいるかもしれない。

 

    たちが悪い。

 

    本当に、なんて優しく、残酷な男なんだろう。

 

    少しばかり恨めしく思う気持ちが勝って止まった涙を拭うと、ナミはじろりと隣の男を睨み付けた。

   「私の誕生日にしては安上がりなプレゼントね」

    拗ねた様な物言いに、ゾロはルフィのプレゼントも似たようなモンじゃないかと思ったが、口にすることはせずにただ苦笑して見せた。

    それに軽く鼻を鳴らしたナミは、しなやかな筋肉の付いた肩に頬を寄せて呟く。

   「今度島に着いたら、買い物に付き合いなさい」

    それで許してあげる。

    出来るだけ強気に聞こえるように告げた言葉に、ゾロが頷く。

   「ああ。約束する」

    約束。その言葉を口にしたなら必ず守ってくれるだろう。少しだけ満足してナミは軽く笑った。

 

    頬に触れた肩が、抱き寄せてくれる腕が、温かい。

    今自分に向けられているのは残酷な優しさだけれど。

    おめでとうとありがとう。

    その言葉は泣き出してしまうほど嬉しかったから。

 

    あんたになんか本気になってやらない。

 

    だから今は、今だけは。

   その優しさだけを思う存分味わおうとそっと瞳を閉じた。

 

 

                               END


     


      今の時期にと思わなくもない。ナミさん誕生日。
      ほんとに、何で今何だ・・・自分^^;
      ただ、甘えるナミさんが書きたかっただけと思われます。
      そして、ちょっと満足です(笑
      ナミさんも女の子だしね!

      では、最後まで読んでくださって有難うございました!

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