Jolis amants


 空は快晴。穏やかな海面に反射した陽の光は魚でもいたのだろう、跳ねた水飛沫と共にキラキラと踊る。
 グランドラインには珍しいそんなのんびりとした風景の中、これまたのんびりとサニー号が進んでいた。

 麦わらの一味が乗っている船の更に一室で、オレンジ色の髪をした航海士は一心に机に向かっている。

「はぁ〜」

 真剣な眼差しでカリカリと海図を描いていた手を止めると、ナミはペンを置き両手を上へと思いっきり伸ばした。
 ついでに手を伸ばしたまま椅子の背もたれへ寄り掛かり、ぐっと伸び上がる。そんなに力を入れていたつもりは無かったが伸ばした肩や背から関節のなる音がする。

「なんだか今日は穏やかね〜」

 一体何処で遊んでいるのか、年少組の笑い声が微かに聞こえて、ばたばたと走り回る振動がこの部屋にまで届いてきそうだ。

「ほんっと元気よね、あいつら。あーあ。アタシも少し休憩しよっと」

 伸ばしたままの腕をゆっくりと下ろし時計をちらりと見る。昼まで小一時間といったところか。きっと今頃はヘビースモーカーのコックが昼食の準備の真っ最中で、キッチンは良い匂いがしているだろう。
 お茶を頼めばあの女性にはメロメロに甘い彼の事だ。満面の笑みと気障な台詞付きですぐに美味しいお茶を入れてくれるだろうが、準備の邪魔をするのも何となく気が引ける。
 昼食までの間、みかん畑の世話でもしようと部屋を出る。キッチンの煙突からは予想通り美味しそうな匂いが漂ってきて、ふと口元を緩めた。

 今日のご飯も期待できそう。

 何がそんなに面白いのかげらげらと笑い合う年少組の声を聞きながら真っ直ぐにみかん畑へと向かう。途中、一瞬妙な違和感を覚えたが、原因が分からず軽く頭を振って木々の間へと足を踏み入れた。


 太陽の恵みが樹の全体へ降り注ぐように葉や枝を切り払い、多すぎる実を慎重に間引く。さわさわと潮風に吹かれて揺れる緑に包まれて、ナミはうっとりと瞳を閉じた。

 遠い村にいる優しい姉も、今こうやってみかん畑の世話をしているだろうか。

 ふと故郷へと思いを馳せるナミの耳に、ごつごつと重い靴音が届く。
 足音の主を確認しようとみかん畑から顔を出したナミの目に、みかんの葉よりも淡い、新緑を思わせる髪を持つこの船の剣士の後姿が映った。

「あ」
「――――あぁ?何だ。ナミか」

 思わず漏れた声に気付いたゾロがみかん畑へ振り返る。翡翠色の瞳が陽を映してきらりと輝いた。
 眩しそうに目を細めるゾロを見て先程感じた違和感の正体が分かり、ナミはうんうんと頷きながらゾロの傍へと寄る。

「そうそう。アンタよ」
「は?何がだよ」
 訳が分からず眉を顰めるゾロへにっこりと笑いかける。

 違和感の正体はこの男だ。こんな良い天気の日に邪魔も少なく爽やかな緑のあるこの場所で、ゾロが昼寝をしていない時なんて今まで無かったのだ。

「珍しいじゃない。こんなにいい天気なのにアンタが昼寝してないなんて」
 初めてじゃない?こんな事。

 機嫌よく話すナミをちらりと横目で見遣り、ゾロは更に眉を寄せて「ほっとけ」と呟くと、どっかりと腰を下ろしメインマストに背を預ける。
 その様子にナミは首を傾げた。

 「何よ。なんか機嫌悪くない?」

 問いかけた言葉に対する返事は「うるせぇ」と低く、にべも無い。
 元々愛想のある男ではないが、ここまでそっけない態度は珍しい。口は悪いが、なんだかんだと言いつつも結局ナミの我が儘に付き合ってくれる優しさを持っている男なのに。

 ナミは首を捻りながらそっとゾロに近寄り、顔を覗き込むようにしゃがんだ。
 瞳は閉じられていて感情が読めないが、きゅっと眉を寄せていつもより深い眉間のしわが不機嫌さを物語っている。もしかして良く眠れなかったのか、目の下にはうっすらと隈まであった。

 軽く溜息と付くと、ナミは出来るだけ優しく声をかける。

「ね、何か悩んでたりするの?・・・・話ぐらいなら聞いてあげられるわよ?」

 薄く目を開けたゾロは、しかし再度うるせぇ、と呟き瞳を閉じる。

              
 普通、ここまで言ってこの態度だったら切れるわよね。

 
 そこまで考えたが、不思議と腹は立たなかった。
 薄く開いた瞳の奥に揺れる、不安定な光を見てしまったから。
 いつも強く前を見て迷わない瞳が、あんな心許無い様な縋り付く様な光を見せるなんて、どうせ原因は一つしかない。


「――――サンジ君が原因?」


 二度目の溜息を吐くと同時にそう尋ねると、ゾロはピクリと肩を揺らしナミを見つめた。閉じていた瞳は大きく見開かれ、驚きを示している。

「当たりみたいね。全く・・・分かりやすいんだから」
 呆れた様にひっそりと笑ってやると、おずおずと口を開いてきた。
「なんで・・・」
「分かったかって?この私を甘く見ないことね。あんた達の事なんてすぐに気付いたわよ」




 ゾロとサンジは所謂恋人同士だ。はっきりと本人達から聞いたわけではないが、ナミはそう確信していた。

 初めは確かに仲の悪い二人だと思っていた。寄ると触ると喧嘩ばかりで、良く飽きないものだと呆れながら眺めていたものだ。


 しかし、ある日ふと気付いたのだ。二人の態度の変化を。


 例えばサンジ。
 騒がしいルフィ達に怒鳴りながらオヤツを与える時、ナミ達に恭しく紅茶を差し出す時、サンジの視線は一瞬誰かを探す様に彷徨う。
 そして、その視線がゾロを捕らえると柔らかい光を湛える。
 又は、食事の時。旨いとか口に出さないゾロだが、黙々と食べるその表情は満足そうで。それを確認したサンジの口元には微かに笑みが浮かべられるのだ。

 ゾロはサンジ程態度には出ないが、キッチンでくるくると器用に料理を作るサンジの背に向けられる視線が、優しくて。

            
 もしかしたらロビンは違うかもしれないが、他のクルー達は気付いていないだろうし、ナミ自身も何が切っ掛けで付き合い始めたのかは知らない。
 ただ、そんな互いの視線から、相手を本当に大切に思っている事だけ分かった。




「ほらほら。私はもう知ってるんだから気にしなくていいじゃない。吐いちゃいなさいよ」
 サンジとの関係を知られていたという事が気恥ずかしいのか、うっすらと頬を染めたゾロを肘で突きながらニヤニヤと笑ってやる。

(あら、まあ。こんな顔したら意外と可愛いわね。サンジ君、この顔にやられたのかしら)

 そんな事を考えたが、口に出すと本気で拗ねてしまいそうだった為、聡明な彼女は思うだけに止めた。

「で、何よ。痴話喧嘩でもした訳?」
「・・・・・そんなんじゃ、ねぇ」
「じゃあ何?」
 人に弱みを見せる事を良しとしない剣士の為に、これ以上辛気臭い顔をされると今日の良い天気が台無しよ。私がすっきりする為に話しなさいよ。と悪戯っぽく笑って見せる。
 無神経に見えて意外と人の気持ちに聡い剣士は、ナミのそんな気遣いを汲み取ったのか軽く苦笑すると、ゆっくりと口を開いた。

「―――――夢を。見るんだ」
「夢?」





 暗闇の中、一本の真っ直ぐな道が白く浮び上がっていて。ゾロはただひたすら前へと走っていた。
 その道の先には鷹の目が、更に先には大切な約束を交わした親友が待っていて、振り返る事は許されないと必死で前へ進む。
 額から顎を伝って流れ落ちた汗が音も無く地面へと吸い込まれる。手の甲で汗を拭ったゾロは、背後から自分を呼ぶ声がして思わず立ち止まった。

 ―――――ゾロ。

 泣きそうに掠れた声。目を閉じると、瞼の裏には声の主の姿が鮮やかに浮かぶ。
 キラキラと暗闇でも光る絹糸の様な金色の髪。それに隠され、片方しか見えない深い海を思わせる蒼い瞳。特徴的な眉はきっと情けない位に引き下げられているだろう。

 ―――――ゾロ。ゾロ。

 振り返る事は出来ない。けれど、この声を振り切って前へ進む事も出来ない。
 暗闇の中、ゾロは一人どうすることも出来ず。ただ佇むしかなかった・・・・・・。





「最近、眠るといつもこの夢を見るんだ」
 お陰で寝た気がしねぇ。そう呟いて言葉を切ったゾロを、ナミは呆然と眺めた。


 何なのかしら、これ。私、悩みを聞いたつもりだったんだけど。何でこんな盛大に惚気られてんのかしら・・・・。


 しかし目の前の男は、どうやら真剣に思い悩んでいるらしい。悩みを聞くといった手前、何らかの返事をしてやらなければいけないだろう。
(つまり、こいつにとって野望とサンジ君は同じくらい大切だってことよねぇ)
 同時に二つを掴む事が出来ないのだ。この不器用な男は。野望へ向かっていくことは愛しい人を置いていくと、愛しい人と共に居ようとすれば野望を捨てる事になると、どちらも選ぶことが出来ずに立ち竦んでいるらしい。
 確かに愛しい人が普通の可愛らしい女の子で。守ってあげなければいけない相手だったならばその悩みも分からなくは無い。
 だが。
 ゾロの相手はサンジだ。その時点で選択する必要は無いに等しい。

 こんな簡単な事が分からないなんて。

 大きく溜息をついたナミは、細い指先で額を押さえた。ちらりと視線をゾロへ投げかけると、彼女よりも年上の筈の男は不安そうな表情でじっとナミを見つめている。その表情が余りにも可愛らしく思えて、くすりと笑った。

「答えは自分で探しなさい・・・・って言いたいところだけど、特別に教えてあげるわ」
 その可愛らしさに免じてね。
 最後の台詞は口には出さず、額から指を離すと真っ直ぐにゾロの瞳を覗き込む。

「まずは、サンジ君に伝えなさい。俺は野望に向かって進む事しか出来ないって」
「・・・・・え」
「そしてね、これが一番大事なんだからね。いい?だからお前も俺の隣を進めって。一緒に戦えって、言いなさい。きっとサンジ君にはそれで伝わるから」
 大体サンジ君が黙って守られる性格なわけ無いのよ。そして彼には十分、共に戦っていくだけの力と身体がある。アンタの悩みなんて最初から無いのと同じなのよ。
 そういって笑いかけると、ゾロは頬を赤く染め所在無く視線を彷徨わせた後、「そうか」と呟いて口元を軽く緩ませた。
 その時の笑顔が余りにも柔らかくて、ナミの胸は一瞬とくりと高鳴る。

「サンキュ。なんだか少し・・・安心した」
 安心したら眠くなってきたと、手の甲で目を擦り大きく欠伸をするゾロは今にも眠ってしまいそうだった。
「仕方ないわね。今日は特別よ?悩みを聞いてあげたついでに膝も貸してあげるわ」
 タダでね。
 そういってナミはゾロの隣へ膝をたたんで座った。マストに預けた背をずるずると横に倒したゾロは、そのままナミの膝へ頭を乗せ瞳を閉じる。

「きっと夢は見ないと思うわ。ゆっくり寝なさいな」

 ああ・・・・と囁く様に答えたゾロの呼吸は、次の瞬間には規則的なものへと変わる。短く切られた緑色の髪へそっと手を添えると意外に柔らかく、心地良い感触だった。
 さわさわと優しく髪を撫でながらそろそろ良いかしら、と口を開く。



「もう寝ちゃったわよ。―――――出てきたら?」



 先程自分が出てきたばかりの扉に向かって声を掛けると、そこから姿を現したのは予想通りこの船のコックだった。
「あ、あはは〜〜。・・・・何時から気付いてたの、ナミさん」
「最初から。煙草の匂いがするんですもの。まぁ、ゾロは気付いてなかったみたいだけど?」

 なんだか余裕が無かったみたいだし。それともサンジ君の匂いなんて、もうゾロには当たり前のものなのかしらね。

 その言葉に苦笑し、ナミさんには敵わないなぁと呟きながら傍へと近付いたサンジは、そっとしゃがみ込むと二人の顔を見比べた。すうすうと穏やかな表情で眠る愛おしい剣士と、優しい手つきでそっと髪を撫でている可愛らしい航海士。これはどちらに妬けばいいのかと少々複雑な気分だ。

「全く。サンジ君ならゾロの様子がおかしい事ぐらい気付いてたでしょう?」
「うん。気付いてたんだけどね。・・・・どうしたらいいのか分からなくて」
 俺は何時だって甘やかしたいんだけど、肝心のこいつは全然甘えてくれなくてさ。

 女性相手には良く回る口もどうやら本命には難しいらしい。くるくるの眉をへにゃ、と情けなく下げると、そっとゾロの頬へと指先で触れる。
「―――そう。でも、話聞いてたんでしょ?良かったわね。愛されてるわよ?サンジ君」
 そう悪戯っぽく囁いてやると、蒼い瞳はふわりと緩んだ。


 何でこんな良い天気にバカップルの相手なんてしているのかしら。


 まるで壊れやすいガラス細工に触れる様に、繊細な動きでゾロの頬を撫でる指をぼんやりと眺めたところで、途端ナミはバカバカしくなった。
 自分の膝で眠るこの男は、仲間の為に簡単に己が身を差し出す。傷だらけの身体に心が凍る思いで、何度も無茶をするなと、心配だとナミが伝えてもまるで気にする様子は無い。血を流したまま更に前へと進もうとするのだ。

 なのに、ゆるく笑みを浮かべた目の前のこの男は。

 夢の中でたった一言。名前を呼んだだけでゾロを立ち止まらせる。
 それこそがゾロが甘えているのだという事に気付かず、精一杯甘やかそうと懸命に手を伸ばしている。

 なんて不器用な、バカバカしく、可愛らしい恋人達。



「こんなに可愛くて魅力的な女が目の前に居るっていうのに、失礼な話よね・・・・」
 低く呟いた言葉を上手く聞き取れなかったのか、んん?と首を傾げるサンジに向かって、ナミはにやりと笑った。意図したよりも意地の悪い笑みになったらしい顔を見たサンジが、ぎょっとしたように蒼い目を見開く。
「ナ・・・ナミさん?」
 その顔にこっそりと満足して、ナミは更に笑みを深いものへと変えた。

 潮風がさらさらと三人の髪を揺らす。まだ青いみかんの爽やかな香りが微かに鼻をくすぐる。

「ねーえ。サンジ君?」
「は、はい」

 今日は本当に良い天気だ。

「ゾロ、本当に良く眠ってるわね。やっぱり男の膝より、女の子の膝の方が柔らかくて気持ち良いわよね?」

 これくらいの意地悪は許されるだろう。

 ええ〜そ、そんな・・・ナミさ〜〜んと、情けない声を上げて挙動不審となったサンジにくすくすと笑い、それから軽く溜息を付くとマストに背を預けそっと瞳を閉じる。空は快晴。陽の光を反射した海はキラキラと光り、潮風が心地良い。穏やかな日。下の甲板からは年少組の笑い声が聞こえてくる。


 ――――こんな日も、悪くない。


 なにやら複雑そうな顔をした料理人の事は放って置く事にしよう。
 もう一度くすりと笑ったナミは、ゆっくりと近付いて来る優しい睡魔にその身を委ねる事にした。


                                            END

甘さ精一杯。可愛いゾロ精一杯。素敵ナミさん精一杯。
そんな精一杯溢れる中、ヘタレサンジさんは素です(酷)あ、でも優しさ精一杯。
ゾロとナミとどっちに妬けばいいのか悶々とするといいよ。仕舞いにはウソップに八つ当たりでもすると良いよ。
そして、ちょっと後悔して夕飯はウソップの好物を作ってると良いよ。
最近困った事にサンジが可愛く思えて仕方ありません。
でも女の子書いてる時が一番幸せです。や、サンゾロサイトのはずですよ。拙宅(笑)

では、最後まで読んでくださって有難うございました!
(2008.3.22)

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