「皆のこわいものって、なにかしら?」
 唐突な問い掛けに、一同の手が止まる。
 不思議そうな、或いは胡乱気な七対の視線を向けられた考古学者は、頬に指を当て艶やかな黒髪を風に流しながら、ふふ、と軽やかに笑った。



  こわいもの



 この女性が突然、意図の読めない質問を投げかけてくる事は、実は珍しくもない。
 一同が首を傾げたのはほんの僅かな間だけで、次の瞬間にはそれぞれが賑やかしく答え始めた。

「俺は怖いものなんて無いぜ!なんたって勇敢なるキャプテンウソップ様だからな!」
「ウソップすげぇ〜〜!!お、おれも!おれも無い!俺だって海賊なんだし!」
 長い鼻を更に高々と掲げて言い放つウソップと、そのウソップに感心しつつ便乗したチョッパーは、「あんた等はこわいものばっかりでしょ」とナミにばっさりと切り捨てられる。

 甲板の隅でどんよりと膝を抱える二人に笑いつつ、次に口を開いたのはルフィだった。
「こわいものか〜。んん・・・・じいちゃん?」
「ああ〜・・・・あれは確かに強烈だったよな・・・・」
 これ以上は無いだろうと思っていたルフィの上を行くマイペースな老人を思い出し、フランキー以外のクルー達はしみじみと頷いた。

 一人、直接その海軍将校のマイペースさを見ていない船大工は、しみじみとしている仲間を横目に豪快にコーラの瓶を煽った。
「この世からコーラが無くなったりしたら怖ぇよな」
 空になった瓶を見て、己の言葉が現実になった場合をリアルに考えてしまったのだろう、これまた豪快に涙を流し、何処からともなくギターを取り出した。

「コーラがない世界なんて砂漠と同じ。聴いてください、コーラ慕情・・・」
 ボロロン、とほんの一小節奏でた時点で「野郎の歌に興味はない」とサンジに一蹴される。

「俺はナミさんやロビンちゃんに嫌われるのが怖いかなぁ〜」
「はいはい」
 ハート型の煙を吐き出しながらくねくねと身体を捩らせたサンジは、ナミに軽くあしらわれる。

「やっぱりお金よ!!貧乏が怖いわ!」
 そのナミが熱血よろしく拳を握って力説すれば、背後で年少組が「しゅせんどー」と声を揃える。

 凄まじい形相で追いかけるナミと、きゃーきゃーと悲鳴を上げながら逃げる年少組を笑いながら眺めていたロビンは、後一人の答えを聞いていないことに気付いた。
「あなたは?怖いものはないの?」
 緩やかな声音で問い掛ける。視線の先には、周囲の騒ぎを呆れた様に見ている剣士の姿があった。
 質問の答えを促す視線を受けて、ゾロが軽く片眉を上げてみせる。
「別にねぇな」
「あら、そうなの?」
 簡潔な答えに、苦笑するしかない。
「あっ!テメェ、自分だけ良い格好しようとしやがって!!」
 
ゾロらしいといえばゾロらしい回答だとロビンは納得したが、サンジは聞き流せなかったらしい。鼻息も荒く会話に乱入してくる。
「マリモだって怖いモンの一つや二つあるだろう!格好つけてねぇで白状しやがれ!」
「ああ!?ねぇモンはねぇよ!ぐるぐるは黙ってろ!」
 睨み合いを始めてしまった二人をどうしたものかと、一歩離れた所でロビンは首を傾げて見詰めた。
 ナミならば一撃で黙らせることが出来るのだろうが、そのナミは年少組を追いかけている最中だ。僭越ながら自分が一撃を加えるべきだろうか。
 些かズレた考えを巡らせていると、カツカツと軽やかな足音が近付いてきた。
「ああ〜・・・もう、またこいつ等は・・・・」
 呆れた様な声はナミのものだ。どうやら年少組への制裁は終了したらしい。彼女の背後には、大きな瘤を作って折り重なっている年少組の姿があった。


 そして彼女の制裁は、俊敏且つ鮮やかにサンジとゾロにも下されたのであった。


「そういえばロビンにはないの?怖いもの」
 細く繊細であるはずなのに、何故かクルー達には絶大な威力を放つ両手をパンパンとはたきながら、ナミは事の発端であるロビンに視線を向けた。
 ロビンにとって質問自体は、大した意味を持っていないのだろう。ただふと思い付いて気になった、その程度なのだと正確に理解している。
 答えることに抵抗はない。逆にそういった興味を自分たちに向けてくれるのは、良い傾向だとすら思っている。

 だから、自分も彼女に向かって質問を返す。
 些細な事であっても貴女の事を、仲間の事をもっと知りたいのだという意味を込めて。

 真摯な想いが込められた声は、少しだけくすぐったくて切ない痛みをロビンにもたらす。
 感情を殺した笑み、というものがあるならば、まさに今、自分はそんな表情をしているだろう。
 けれどもう、嘘を吐くことはしたくない。
 しばらく逡巡した後に、ロビンはゆっくりと口を開いた。
「そうね・・・・。私は、独りが・・・・怖いかしら」
 今までどうやって独りの時間を過ごしていたのだろう。どうして独りであることを耐えられたのだろう。
 分からなくなるほどに、自分はこの仲間達に依存している。
 もしも彼等を失ってしまったら。もしもまた独りになってしまったら。
 考えるだけで、心の奥底が冷たく凍えてしまいそうだ。

 もしも。
 もしも、また。

「じゃあお前は怖いもん無しってことじゃねぇか」
 不意に思考に割り込んできた声に、はっと顔を上げると、ゾロが痛む頭を擦りながら身を起こした所だった。暗紫色の瞳が見開かれるのを確認して、にやりと笑う。
 軽く肩を叩かれてぐるりと周囲を見渡すと、傍に立つナミも、フランキーもサンジも、折り重なった年少組も、皆が同じ様な表情を浮かべていた。
「そう・・・・そうね。無敵かもしれないわね、私」
 ゆっくりと繰り返す毎に、凍えそうだった心に温かな息吹を感じる。
 自然と緩む口元に、ナミが満足そうに頷いた。
 感極まったフランキーが再びギターを取り出し、再びサンジに一蹴されるのを視界に捕らえて、ロビンは今度こそ、心のままに柔らかな笑みを零したのだった。










「お前、本当に怖いモンねぇの?」
 深夜、二人きりのキッチンで低く呟かれた言葉に、ゾロは目を瞬かせた。
 持ち出された話題は昼間ロビンが問い掛けた内容で、ゾロは確かにそう答えたし、第一既に終わった話だ。それを何故今更、引き合いに出してくるのか。
 差し出されたグラスを受け取りながら、首を傾げる。話を蒸し返したサンジはといえば、むっつりと口を引き結び、どこか不機嫌そうだった。
「何だ。お前は他にも怖いモンがあるのか?」
 ゾロにはないのにサンジにはある。それが気に入らないのだろうかと思い、何気なく問うと、サンジの眉が勢い良く跳ね上がった。
「あるさ!ナミさん達に嫌われんのが怖いのは本当だけどさ!他にも色々だな!」
 予想以上の激しい反応に、軽く仰け反る。
 こりゃ本格的に気に入らないんだな、と内心溜息を吐いたゾロだったが、ここでこの話を持ち出したということは、それに付き合えという意味だろうと諦めにも似た気持ちで肩を竦めた。
「色々、ね。例えば何だよ」
 息巻く料理人に目を眇めて聞き返すと、待ってましたとばかりにサンジは勢い良く語り始めた。
「ジジィに恩返し出来なくなるのは怖ぇ。レストランの連中が居なくなるのも、レストランがなくなるのも怖ぇし、信じちゃいるが、絶対に見付けるって思ってもいるが、オールブルーに辿り着けなかったらって思うのも、怖ぇよ。それに何より」
 そこまで一息に言い放ったサンジだったが、次の瞬間、僅かに言葉に詰まった。二、三度口を開閉させて迷う素振りを見せる。
 無言で続きを促すと、サンジは深く息を吸い込んでから、ゾロの腕を掴んだ。

「何より、テメェを失うことが、クソ怖ぇよ」

 掴まれた腕には尋常でない力が加えられ、真っ直ぐに見詰めてくる瞳は、嘘も偽りもない真摯な想いが溢れている。
 そこで漸くゾロは、サンジが不機嫌であった本当の理由に思い至った。
「なのにテメェはなーんも怖いモンはねぇって言うし。俺だけかよ。クソッたれ」
 そう。そう言う事だ。
 サンジはゾロを失うことを恐れている。恩ある人々のことよりも、心を砕いている女性たちよりも、奇跡の海に辿り着けないことよりも、ゾロの事を。
 不機嫌というより、要は拗ねているのだ。これだけ自分がゾロのことを想っているのに、ゾロはそうでもないのかと。
 それこそ杞憂であると伝えたところで、納得はしないだろう。
 思わず緩みそうになる口元を必死で押し隠し、自由な方の腕を伸ばしてサンジの頭を軽く撫でる。
 向けられた胡乱気な視線に片眉を持ち上げて、ゾロはようよう口を開いた。
「そうだな。俺も全く怖いモンがないわけでもないらしい」
 その言葉に、期待したのだろうサンジの表情が輝く。現金な奴だと思ったが、それは口には出さなかった。
 そして恐らく、次の台詞で再びサンジが不機嫌になるだろう事も。
「俺は、俺が俺で無くなることが怖ぇな」
 予想通りにサンジの表情がみるみる曇っていく。
 憤然と口を開きかけたサンジを身振りで制し、ゾロはからかうような笑みを浮かべて続けた。
「くいなや先生との約束を守ることも、世界一の剣豪になることも、ルフィ達と共にあることも、全部、俺が俺で在る証だからな」

 勿論、テメェが俺のモンで、俺の傍に居ることも。

「だから俺は、俺が俺で無くなることが怖ぇよ」
 ひとつひとつ告げる度に見開かれていく蒼色の瞳が、最後の言葉で明るい光を灯す。
 本当に現金な奴だ。
 そして、喜色を湛えた瞳を見て、温かな気持ちになる自分も。
 言葉にならない様子で、がばりと抱き付いてきたサンジを受け止めて、密やかに笑う。全身に伝わる熱は、心地良いばかりだった。
「そっか。何だ、お前も怖いモンがあるんじゃねぇか」
 俺と同じじゃねぇか。弾むサンジの声に、今度はゾロが不機嫌そうに口を尖らせる。
「違ぇよ。怖いモンっていや怖いモンだが、別に本当に怖いわけじゃねぇ」
 目の前で揺れる金糸をぐいぐいと引きながら言うと、サンジも反論はせずに明るく笑って頷いた。


 怖いけれど、怖くない。
 矛盾しているそれは、ゾロがロビンに言った事と同じ。


 つまり、有り得ない。


 サンジがゾロから離れることも、ゾロがサンジから離れることも。
 例え足掻らう事が困難な事態が起ころうとも、その心を信じている。


「結局、俺等も無敵って事か」
 額を突き付けて囁き合う。
 船窓から覗く月は緩やかな曲線を描いて、そっと笑っているように見えた。






当初はロビンが中心のお話になる予定でした。
んが、気付けば後半は二人が何故かいちゃいちゃ始めてしまった為、SZ小説の括りにしたのですが・・・。
何の反動か、あり得ない位仲の良い二人になりましたよ。
そりゃ月も笑うわ(そんなオチ)
では最後まで読んで下さって有難うございましたー!
(’09.10.22)


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