食事が終わると、疲労の溜まっていたクルー達はそれぞれの部屋へと戻り、キッチンに残っているのは後片付けをするサンジと船医から無理やり飲酒の許可を捥ぎ取ったゾロだった。

「今日は一杯だけだからな」

 食器を洗いながら呆れたように告げるコックに素直に頷いたゾロは、注がれたワインをちびちびと舐めていた。
 全ての食器を棚へと仕舞い、漸く一息ついて煙草を銜えたサンジは、ふとゾロの様子に気付いて首を傾げる。

「どうした?何か不機嫌そうだな」

 
煙草に火を付けながらゾロの隣に腰を下ろす。それを横目で見やったゾロがぼそりと何か呟いたが聞き取れず、んん?と顔を覗き込んだ。
 
それに僅かに眉を顰めたゾロが再び口を開いた。


「他の奴は、仕方ねぇ。自分がいいって言ったんだ。けど、テメェは駄目だからな」
「は?」
「・・・テメェの手は、血で汚すなって、言ってんだ」
「・・・ゾロ」
「絶対に、駄目だからな」


 
そう言い捨てると、顔を背け残ったワインを一気に飲み干した。偉そうな物言いに顰められた顔。それでもサンジは口元が緩むのに耐え切れなかった。
「うわぁ・・・。どうしよう。俺ってばすんごい愛されちゃってる?」
「はあ!?」
 
心外そうな表情で頓狂な声を上げたゾロは、なぜサンジがそんな結論に至ったのか本気で分かっていないらしかった。



 
だって、ゾロ。それって俺の手を大事に思ってくれてるってことだろ?この手は料理にしか使わないって言った俺の言葉を覚えててくれたんだろ?他の奴らは良くても俺は駄目って、俺の手を守りたいって思ってくれてるんじゃねェの。



 
ヘラヘラと笑うサンジに一層眉を顰めたゾロは、憮然とした表情で立ち上がろうとした。その腕をサンジが絡め取り勢いを付けて引き寄せる。不意をつかれそのままゾロは体勢を崩しサンジの腕の中へと抱き込まれた。
 
もがく身体を逃がさない様に抱き締めながら、ピアスの揺れる耳元へ口を寄せる。

「約束する。もう二度と戦闘では手は使わない」

 
抱き締める腕を外そうと、力を込めていたゾロの手が止まった。「約束だぞ」とぼそりと呟くのに、「ん。約束」優しく返すと、軽く息を吐いたゾロが身体の力を抜きサンジの胸に背を預ける。短く刈られた若草色の髪が頬を擽る。見た目より柔らかいそれに鼻を埋めると、さすがにいつもの様な日向の匂いはしなかったが、代わりに微かに石鹸の匂いがした。





「戦闘で手を使わない約束はするけど、殺さない約束は出来ねぇよ」





 
髪に鼻を埋めたままサンジが囁く。その言葉にゾロの肩がぴくりと跳ねた。身じろぐゾロを宥める様に抱き締めたままの手で軽く身体を撫でる。


「お前が皆を守りたいと思う様に、俺はお前を守りたい。だから、お前が戦えない状況で必要があったら、俺は相手を殺すよ」
 
俺はコックで、人に食べさせて生かすのが仕事だけど。腹空かせてる奴が居たら誰でも食わせてやるけど。それ以外で俺の大事なモンを壊そうとする奴は、許さない。


 
淡々と紡がれる言葉にゾロは静かに瞳を閉じた。語られる内容は些か物騒だったが何故か心が安らぐような気がした。背中に伝わる体温が、暖かくて心地よかった。

「俺は、誰かの為に刀を振るったりしない」
「うん。聞いた」
「俺が刀を握るのは自分が強くなる為だ」
「うん」
「強くなりたいから、敵と戦って斬る。だから、お前らが気にする事は無いんだ。それは俺に押し付けてるって事じゃ、無いんだ・・・」
「うん。そうか」

 短く相槌を打つ声は、優しくて暖かい。その声に導かれるように、ゾロは昔師に言われた言葉を思い出していた。

「昔、先生に言われたんだ。自分の為だけではなく、誰かの為に刀を振るえる日が、君にも来ると良いのだけれど・・・って。そん時は意味が分からなかった」
「ふうん?」
「・・・・正直、今でも分かんねぇ」
「どうして?」

 
変わらず優しく問いかける声。疲労の溜まった身体にワインは思いのほか効いているらしい。背中にあたる暖かさと相まって瞼が下がってくるのを必死に堪えた。如何してだか、今伝えなければいけないと思った。


「俺が、まだ弱いから捕まったんだ。もっと、強かったら今回みたいなことは起こらなかった」

「俺はもっと強くならないといけねぇんだ」

「お前に・・お前達にあんな事させたくないのは俺のエゴだ」

「だから、刀を振るうのは俺の為で、誰かの為なんかじゃ、無いんだ」


 
一つ一つ口にする度に瞼が重く圧し掛かってくる。もっと伝えたいことがあった筈なのに、とうとうゾロは押し寄せてくる睡魔に耐え切れず瞳を閉じた。

 
穏やかな寝息を立て始めたゾロの顎に手を掛け軽く上を向かせたサンジは、そっとその唇に己の唇を寄せた。無防備な寝顔に愛しさがこみ上げる。相当眠かっただろうに必死で話す姿を思い出し、声を殺して笑った。
「ばぁか。それでいいんだよ。鈍感マリモ」
 それこそが『誰かの為に』と言うやつだと言う事に何故気付かないのだろう。不器用で鈍感で、優しい剣士。

「やっぱ俺、お前が好きだわ」
 
お前の為なら、誰かを殺す事位出来てしまうだろう。それはきっと、この船の誰もが思っているだろうけれど。お前はそんなの嫌がるだろうから出来るだけ実行はしないでおいてやるけど。

「さてと、この体勢どうすっかなぁ。やっぱりせめて倉庫まで運んで寝かせないとかな。くそ、俺だって疲れてんのに」
 
面倒臭そうな言葉とは裏腹に緩みきった表情でゾロを抱えたサンジは、簡易ベッドの置いてある倉庫へと足を向ける。
 
きっと明日から鍛錬の量を増やすだろう剣士の為のメニューを考えながら、まずは朝目が覚めたらありったけのキスと愛の言葉を送ろうと、にんまりと口元を緩め、ベッドへ寝かせたゾロの隣へ潜り込み瞳を閉じた。











 
眠りの淵へと沈んでいく意識の片隅で、声を聞いた気がした。
「ばぁか。それでいいんだよ。鈍感マリモ」
 
口が悪くて女にだらしなくて、優しい料理人。お前がいいと言うのなら、きっとそれでいいんだろう。
 
ひどく優しく安心する声は、故郷にいる彼の人を思い起こさせた。
 
先生。俺は。人を殺す感触に慣れてしまった。
 
だから。
 
紅く、染まっているのは俺だけだと、思っていたのに。
 
染まるのは、俺だけで良いと、思っていたのに。
 
大事な仲間達は、俺だけじゃないと。俺だけなのは許さないと。そう言ってくれたんだ。
 
でも俺はやっぱり。俺の弱さの為にあいつ等に人を殺したりなんてして欲しくなくて。そんな俺の我侭の為にもっと強くならないといけないと思ったんだ。

『自分の為だけではなく、誰かの為に刀を振るえる日が、君にも来ると良いのだけれど・・・』

 
誰かの為じゃない。自分の為。
 
何度考えても、結局俺の答えはあの時と変わらないんだ。

『ばぁか。それでいいんだよ。鈍感マリモ』

 
いつか。あの懐かしい故郷に帰ってあなたにそれを伝えたら。
 
あなたはまた、優しく微笑んでくれるだろうか。「それでいいんだよ」いつの間にか自分の隣にいる、大切な男と同じように。











 
目を覚ますと、まだ空は暗いままだった。冷えた空気に肌寒さを覚えて身震いする。もぞもぞとシーツを引き上げながら、ゾロはいつの間にベッドに戻ったのかと首を傾げた。その時自分の隣から穏やかな寝息が聞こえて身体ごと寝返りを打つと、金色の髪が視界に飛び込んできた。
 
どうやらサンジが自分を運んでくれたらしい。重かっただろうに。漏れた笑いは次の瞬間、小さなくしゃみにかき消された。

 
薄いシーツだけでは冷えた空気を避け切れず、そっと隣で眠る男に身を摺り寄せた。
 
むぅ。と唸ったサンジに起こしてしまったかと一瞬ひやりとする。しかしもぞもぞと身じろぎしたサンジは、ゾロの身体を抱き寄せそのまま再び寝息を立て始めた。
 
自分から擦り寄ったくせに、その反応に頬を赤く染めたゾロがサンジの腕から逃れようとしたが、しっかりと抱きしめた腕は外れなかった。結局、逃れることを諦めて、軽く息を吐きその身を委ねる。肌に沁みる温もりと穏やかな呼吸に、言いようの無い愛しさを感じて密やかな笑いを零した。


 朝、目が覚めたら。故郷と先生の話をしよう。
 そしていつか、二人の夢が叶った時。一緒に自分の生まれた村へ行ってみないかと伝えてみようか。
 その時、隣の男はどんな顔をするだろう。


 けれども今は目の前にある幸せな眠りを貪る事にしたゾロは、自らも腕をサンジに絡ませそっと瞳を閉じた。




  END




や・・・やっと終わりましたー!
初長編「血の記憶」。
途中で密かに行き詰ったりしておりましたが、色んな方に励ましや感想を頂いて無事完結することが出来ましたv
有難うございます!
最後の最後にサンゾロ色を目一杯出してみたつもりなんですがどうでしょう(笑)

そしてこの長編で学んだ事。
プロットって大事だよね!
行き当たりばったりで書くモンじゃないですよ、ほんと(今更)

兎にも角にも無事終了しました。楽しんで頂ければ幸いですv
最後までお付き合い頂き、有難うございましたー!
(’08.9.27)

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