An equation of love

 

Side SANJI

 

 何故目が離せなくなったのか、どうして手に入れたいと思ったのか。

 そして、それは何時からなのか。

 

 明日の朝食の仕込みも終わり、ようやく一息ついた俺は無造作に椅子に掛けた上着から煙草を取り出し口に銜えた。

 当然の事ながら今日の食事も評判は上々。心地良い疲労感を感じながら火を点ける。深く肺に取り込んだ紫煙を天井に向かって細く吐き出しながら浮んだのは、そんな疑問。想うのは、若草色の髪と翡翠色の瞳を持つ無愛想な男の事。

 

 自分で言うのもなんだが、俺は女の子が好きだ。

 細い指。柔らかい身体。良い匂いのする髪。花が咲いたような笑顔。どれも俺を魅了してやまない。

 

 それなのに。

 

 俺の目を奪うのは、欲しくて堪らないのは、あの男だ。

 

 なんて理不尽。

 何故、どうして、何時から。

 

 ぐるぐると回る思考に軽い眩暈を覚える。煙草を挟んだ手をテーブルに投げ出し、ぐったりと上体を預けた。目を閉じて脳裏にあの男を思い描いてみる。

 笑っている顔。怒っている顔。寝ている顔。

そして。

 耐えている顔。

 

 ああ。

思い至り目を開く。

視線の先で吸わないままの煙草が短くなっていた。テーブルに倒れこんだまま灰皿を手探りで探し、長い灰ばかりとなったそれを揉み消す。そうして溜息を一つついてから、上体を起こし新しく銜えた煙草に火を点けた。

 

 アイツは嬉しい時、楽しい時に笑う。ムカついた時は怒るし、眠い時は寝る。

 けれど。

 悲しい時や辛い時、苦しい時には表情に出さない。それが身体であっても、心であっても。

 皆の前では飄々としたまま過ごし、誰も居ない場所で一人丸くなって耐えている。じっと目を閉じ、その波が通り過ぎるのを待っている。そうして又、何もなかったかの様に平然と日々を過ごしているのだ。

 

 初めてそれを見たのは、まだこの船に乗って間もない頃。薄く雲が掛かった静かな夜だった。

 今日のように遅くまで仕込みをしていた俺は、既に寝ているだろう仲間達を起こさない様にそっとキッチンの明かりを落とし足音を殺して部屋へと向かっていた。

 その時だ。甲板の前方にじっと立ち尽くす男を見たのは。

 縁に手を掛け、真っ直ぐに海を見つめていた。その背中に近寄ることも、立ち去ることも出来ないような気がして、俺は其処から動けなかった。

 

 今思えば、その時そのまま立ち去っていればよかったんだ。そうしたら、あんな顔を見ることはなかったんだ。

 雲の切れ間から差し込む月明かりに照らされた、あいつの顔を。

 

 海を見ていると思った瞳は、違うものを見ていた。決して届かない何かを、遠い昔に失ってしまった大切なものを、追い求めている様なそんな瞳。昂然と前に向けられた顔は今まで見たことも無い様な儚さを纏っていた。

 それでも、真っ直ぐに背中を伸ばし凛と立つその姿は、どこかアンバランスだった。

 

 けれど。俺はその姿が、綺麗だと。そう思った。

 

 それから引き結ばれた唇が綻び何か言葉を呟いたあいつが、きつく瞳を閉じ両手で己の身体を抱き締めて蹲ったのは、ほんの一瞬。

 

 その一瞬に今にも消えてしまいそうで、思わず駆け寄って抱き締めて、引き止めたいとも、思った自分に驚いた。

 

 立ち上がり見張り台へと上っていったあいつは、いつも通りのあいつだった。

 

 その時の俺達は、馬が合わない、そりが合わない、気が合わない。寄ると触ると喧嘩ばかりで穏やかに話し合うことなんて到底無理な関係だった。

 だから結局は、その時の俺には何も出来ることは無くて、けれどその夜のあいつが忘れられなかった俺は、遠くからあいつの動向を窺うようになっていったんだ。

 

 傷が疼いて眠れない時、何かに心を囚われた時、深夜の甲板で、昼下がりの後甲板で。時々同じ様なあいつを見た。

 

 その度に、一人で耐えるあいつが、一人で乗り越えようとするあいつが、悔しくて切なくて。何時だって蹴り飛ばし抱き締めて、自分の方を向かせたいと思った。

 

 そうだ。その頃からだ。こんな理不尽な想いに囚われ始めたのは。

 

 物思いに耽ってまたしても碌に吸わないまま短くなってしまった煙草を揉み消し、絶望的な気分で天井を仰ぎ見る。

 

 理不尽。不本意。

 あんな、ちょっとばかり綺麗で儚い姿に囚われてしまったなんて。

 そのせいで、普段のほんの少し口元を緩ませた微笑や、大口を開けて笑っている顔や、無防備に寝ている姿や、黙々としかし満足そうに食事をする様子や、果ては盛大に眉を顰め怒る姿まで、可愛いと思ってしまうなんて。

 どれだけ気が合わなくても、共に航海していれば気安さだって出てくる。そのせいか、いつの間にか寝酒をせびりに俺が仕込みを終わらせる頃を見計らって訪れるようになったあいつの変化が、死ぬほど嬉しいなんて。

 

 俺は女の子が好きなんだ。

 あんな男臭い、ムキムキの奴なんて好みじゃ無ぇんだ。

 

 そう自分に言い聞かせてみても、身体は勝手にそろそろ酒をせびりに来るだろう男の為につまみを作ろうとキッチンに向かってしまう。

 冷蔵庫の中を物色し、いそいそと材料を取り出す自分の手に些か情けない気分が飛来する。それでも目はちらちらと扉を見てしまうし、心臓は僅かに心拍数を上げてあいつの来訪を待ち侘びている。

 

 あいつがいけないんだ。

 嬉しい時には笑って、ムカつく時には怒るくせに。苦しい時にも悲しい時にも無表情で、一人で隠れて耐えようとする奴だから。

 そしてたった一人で我武者羅に前へ進もうとする奴だから。

 

 

 いらいらとしながら、大振りに切ったチーズに衣を付けて熱した油の中に放り込む。サラダ菜を千切って、その上に洗ったプチトマトを並べる。後はそれに揚げたチーズを盛り付けるだけ。

 その時ごつごつと重い足音が響いて、キッチンの扉が開いた。

「おい。酒くれねぇか・・・お?」

扉から顔を出した奴はいつも通りの第一声を放ち、キッチンに漂う香りに鼻をひくひくと動かした。

・・・・・くそ。可愛い。

「おら!すきっ腹に呑むなっていつも言ってんだろ!」

 上がる心拍数を誤魔化す様に乱暴につまみと酒をテーブルに置く。奴はそれに頓着するでもなく、嬉しそうに席に着いた。

 いただきます、と手を合わせる奴にグラスを渡し、酒を注いでやってから俺も正面の椅子に腰掛けた。

 色々と無愛想な奴だか、こういう挨拶は必ずする。それすらも可愛いと思う俺は終わっているのかもしれない。

 心拍数を上げながら、それでもこの想いの理不尽さにいらいらとしながら、煙草に火を点ける。

 その時、俺に向かって奴は酒瓶を突き出してきた。

「あ?何、もう飲み終わったの?」

 思わず間抜けな返事をした俺に、不機嫌そうに眉を顰める。突き出した酒瓶はそのままで、意味が分からず首を傾げた。

「たまには、お前も付き合え」

 びっくり、した。

 まさかそんなお誘いを受けるとは思ってなかった。おお、だかああ、だか不明瞭な返事をしながらも慌ててもう一つグラスを取り出す。それに奴は黙って酒を注いでくれた。

 嬉しい、んだけど。この行動の意味が分からない。

些か居心地の悪さを感じながら俺は注がれた酒を口に含む。しばらくの間、何の会話も無い奇妙な酒盛りが繰り広げられた。

 

 黙って酒を飲みつつ動作の一つ一つに目を奪われながらも、同時にその事にいらいらとしていた俺の耳に、突然奴の声が飛び込んできた。

 

「たまに・・・眠れ無ェ時があるんだ」

 

 何の脈絡も無い言葉だったが、声を掛けられたことに僅かに浮き足立って目の前の男を見つめた。正面からぶつかった翡翠色の瞳に一瞬見惚れる。

 しかし奴はすぐに視線を逸らすと、テーブルに肘をついた手で首を支えて、ぼそぼそと話し始めた。

 

「たまに、いろんな事に囚われて眠れ無ぇ時があるんだ。そんな時は大体甲板とかで一人で居るんだが、なんだか落ち着かなくてな・・・」

 

 滔々と語られる内容に、信じられない思いがした。

 確かに初めに比べると気安い関係になったとはいえ、俺と奴はいいとこ喧嘩仲間だ。決して弱みを見せあうような仲じゃなかった筈だ。それが。

 

「けど最近、お前がここに居て、酒、くれたりするから。その・・・」

 

 目の前のコイツだって、その事は分かってるんだろう。言葉を紡ぐ毎に気まずそうに視線を泳がせている。首を支えていた手は頭に回ったり、顎を撫でたりと忙しない。

 俺はというと、両手で酒の入ったグラスを握り締め瞬きする事も忘れて奴を凝視していた。

 そんな俺をどう思ったのか、ちらりと視線を寄越した奴は少し困った様に眉を下げ、残った酒を一気に呷った。そして、大きく溜息をついてまっすぐに俺を見つめてくる。

 

「そんな時は、何だか気持ちが落ち着いてよく眠れるんだ。だから」

 

ありがとな。

 

そう言って、照れ臭そうにニッカリと笑ったんだ。

 

 

 それからどんな会話をしたのか、正直俺は覚えていない。ただ心臓は最速記録を樹立する勢いで脈打ち、足元はふわふわと覚束無かった。

 正気に戻った時には既に奴の姿はキッチンに無く、俺は洗い物を済ませて水に濡れた手を布巾で拭いているところだった。まったく習性って奴は恐ろしいぜ。

 いや、そんなことより。

 気持ちを落ち着ける為、銜えた煙草に火を点けようとした手は震えていた。カチカチと火花ばかり放つライターに軽く舌打ちし、テーブルへと放り投げる。火を点けないままの煙草を銜え、シンクに寄りかかり天井を見上げる。

 じわじわと心の奥底からこみ上げてくる感情に瞳を閉じた。

 

 初めて酒を勧めてきた。

気まずそうに弱音を吐いた。

 俺に礼を言った。

 そして、照れ臭そうに笑った。

 

「くっ・・・くくく・・・」

 そんな一つ一つが嬉しくて。溢れてくる笑いに咽喉を震わせる。ひとしきり笑って、大きく息をついた俺はシンクに凭れたまま、ずるずるとしゃがみ込んだ。

 

 参った。完敗だ。

 女性至上主義のラブコック、サンジ様ともあろうものが。

 この理不尽な感情に、全面降伏だ。

 

 だって、一人で耐えていた奴が、俺にそれを見せてくれたんだ。一人で我武者羅に前に進む奴が、その視界に俺を入れてくれたんだ。嬉しくないわけが、無い。

 

 認めてしまえば、後は簡単だ。

好きだから、目が離せない。好きだから、手に入れたい。

好きだから、どんな表情も態度も可愛く思えてしまう。

 

 あんな男臭くてムキムキの奴が、愛しくて堪らない。

 

「ま、多分あいつは酒とつまみに釣られてるだけだろうけどな」

 

 認めてしまったこの感情は障害が山積みで、前途多難だ。

だが、そんなこと関係無い。

「明日からは、ガッツリと気合入れて口説かせてもらうぜ!」

 遠回しなアピールは効果が無いだろう。取り敢えずは、うまい酒とつまみで懐柔しようか。どれ位近寄れば、あの柔らかそうな髪に触れることが出来るだろうか。

 

 鈍感なあいつを口説き落とす方法を考えながら立ち上がった俺は、すっきりとした気分でキッチンの明かりを消し甲板に出る。

ようやく答えが出た俺の恋は、まだ始まったばかり。

 ぽっかりと空に浮ぶ満月に向かって、誓いも新たに拳を突き出す。

                                          

 絶対に、手に入れてやる。

 

「ラブコックを甘く見んなよ!」

                                                                                                    END



君との〜とはまた別にちょっと軽く自分の気持ちに気付くまで。
軽くしたらなんだかお馬鹿っぽいサンジ兄さんに・・・。
でも、こういう吹っ切れっぷりのサンジさんも好き(笑
今回もゾロサイドがあります〜。宜しければどうぞ^^

では、読んでくださって有難うございました!

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