An equation of love

 

Side ZORO

 

 何となく目が離せなかった。如何してだか、近寄ってみたいと思った。

 そして、それが何時からなのかなんて別に如何でも良かった。

 

「面白い奴が仲間になったなぁ!」

 あの男がこの船のコックとして仲間になり、暫く経ってからそうウソップが感想を漏らしたことを覚えている。懲りずに食料を漁りに忍び込むルフィに、容赦ない蹴りで追い出すコック。たまにウソップも加わり同じ目にあった挙句、罰として茸尽くしの食事に半泣きになったりもしていた。それって面白いか?

 まあ、面白いと本人が言うなら別に俺がどうこう言うことじゃないが。

 ただ、『面白い』という感想には何か違和感を覚えた。

「面白い・・・か?」

 首を捻る俺に、ウソップは苦笑して「そりゃお前らは喧嘩ばっかりだもんな」と返してきた。

 うん・・・そりゃまぁ、そうなんだが。

 面白いとか、ムカつくとか、そういう事とは関係なく、何か変な奴だというのが其の時の俺の印象だった。どこが、と問われれば答えることなど出来なかっただろうが。

 

 うららかな午後の日差しの中、俺の定位置となった後甲板にごろりと寝転び、つらつらとそんな事を考えていた。閉じた瞼の裏にまで太陽は侵入してきて、暗い筈の視界にちらちらと光が踊る。

 その光が、あの男の髪を思い出させた。いつかも、見たことがある。この光の様にきらきらと踊るあの髪。

 

「あ」

 

 思い出して、俺は短く声を上げた。

 そう。いつかも見たことがある。そのときはこんな日差しの下ではなくて、もっと静かな、暗い明かりの下で。

 

 

 時々、眠れなくなることがある。傷が疼いての時もあったが、もっと他の、胸の奥が落ち着かないような気分になる時などに。

 この船に乗ったことを後悔することは無い。けれど時々、どうしようもなく不安になることがあった。

 気の置けない仲間達。共に居ることは楽しく、何の不満も無いけれど。こんな穏やかな空気に慣れてしまうことが怖かった。一人で居たときの様な研ぎ澄まされた感覚が、培われた危険に対する警戒心が、どんどん鈍くなっていく様な気がして。

 そうなってしまった時、俺は大切な約束を交わした親友を裏切ってしまうのではないかと、恐れた。

 

 あの夜もそうだった。眠れずに甲板へ出た夜。空に浮ぶ月に、親友の面影を見る。強かったあいつ。男になりたかったと泣いたあいつ。世界一の剣豪になると誓った。

 忘れてない。手の届かない所に逝ってしまったお前との約束を忘れない。ただ。

 

 仲間と笑い合う俺は、お前を裏切っていないだろうか。

 

 違う。分かっている。これは裏切りじゃない。あいつだってそんな事思わない。

「くいな・・・。俺は強くなる。大剣豪に必ずなる」

 

 勝手に不安になって、勝手に脅える自分がひどく卑小な人間に思えて、両手で身体を抱きしめ蹲った。

 この弱さを振り切らなければいけない。この弱さは一人で捻じ伏せ、そうして前へ踏み出さなければいけない。

 

 絡み付く思いを振り切って見張り台へと上るとき、視界の端に月と同じ色の光を見つけた。

「コック?」

 いつから居たのか。気配を殺して佇むあいつは何だか妙な様子だった。

 

 この時ほど、夜目が利く自分を恨めしく思ったことは無かった。

 そうしたら、あんな顔を見なくて済んだのに。

 

 穏やかな表情のくせに、今にも泣き出しそうな、そんな顔だった。

 

 変な奴。見張り台に腰掛けて一人ごちる。

 そして気付く。ウソップと話したあの時、覚えた違和感の正体に。

 

 あいつは、嬉しい時に泣いて、悲しい時に笑うような奴だ。

 

 なぜ気付いたのかは分からない。ただ、間違ってないと思った。

 

 その夜から、あいつの視線が俺に良く向けられるようになった。振り向くと奴はもう別の方を向いていて目が合うことは無かったが、纏う雰囲気でその確信は深まった。

 

 変な奴。その思いは膨らむばかりだったが、向けられる視線は、何故か悪くないと思った。

 だから、少しだけ、奴に近寄ってみる。夜、仕込みを終えるだろう時間にキッチンへ立ち寄り酒を強請ってみたり、時折酒と共に出されるつまみに笑ってみたり。そうして他愛ない世間話を繰り広げてみたり。

 そんな事を繰り返す度に、やはりと思った。

 感情豊かなこの男は、豊か過ぎるせいか表し方を間違えている。

 

 レストランの同僚を良い奴らだと嬉しそうに話しながら、眉を寄せ泣きそうな表情になる。オーナーの足は自分のせいで無くなったと悲しそうに話しながら、笑う。

 

 そんなちぐはぐな表情は、奴が俺へ小言を言うときにより顕著に現れた。

 噛み合わない雰囲気と表情。なぜかひどく落ち着かなかった。

 

 ただ、喧嘩をする時はそんな不自然さは無かった。そして、ひっそりとばれない様に俺に向けられる視線も。

 だから喧嘩をするのは嫌いではなかったし、向けられる視線は心地良ささえ感じていた。あの不自然な表情を見た時には変えてやりたいとすら思った。

 

 しかし、その思いは俺の不安をより掻き立てるものとなった。

 

 溺れてはいけない穏やかさの中に、近寄りたいと思う相手を見つける。その事実は再び俺の中に不安と恐怖を呼び起こす。

 自分で捻じ伏せなければと、振り切って前へ進まなければと思うほどに苦しくて眠れなくなる。

そんな時に、あいつの視線を感じて救いを求める様にキッチンへと向かう。酒を貰い短い会話を交わす。例のちぐはぐな表情を向けられることが多かったが、それでも俺は眠りを得ることが出来た。

そして、そんな事で眠ることが出来た自分にまた不安が湧き起こり、眠れなくなる。

 

 悪循環だった。

 いっそ心を壊して、強さだけを追い求めていけたら。

 そんな事を考えていた夜。

 俺は夢を見た。

 

 満月の夜、男になりたいと泣いていた親友。だが、夢の中のくいなは、泣いてはおらず、ただ困ったような笑顔を浮かべていた。

 

『何が不安なの?どうして不安になるの?』

この船の暖かさに酔ってしまいそうで嫌だ。穏やかさに飲み込まれて、弱くなりそうな自分が、不安だ。

『じゃあ、何を恐れているの?』

 不安になった時に、誰かに弱音を吐いてしまいそうで、怖い。

『それはいけないこと?』

 駄目だ。そうしてしまったら、俺は本当に弱くなる。俺は、お前を超えて、鷹の目を超えて、前に進まないといけないんだ。

『でもゾロ。私は君に頼ったよ』

 くいな?

『君に弱音を吐いた。泣いたりもしたよね。その時君は、私が弱くなったと思った?』

 思わない。思う訳が無い。お前は強いままで、だからきっとどちらかが大剣豪になろうと、誓ったじゃないか。

『じゃあ、どうして君は誰かに弱音を吐いちゃいけないの?』

 それは・・・・。

『その相手はただ甘やかすだけの人?君が私にしてくれたように、支えて、背中を押してくれる人じゃないの?』

 くいな、それは・・・。

『大丈夫。何があっても君は君のまま。壊れた心じゃ強くなれないよ。君の大切な人を受け入れて、強くなって。そして君の名前と一緒にその気持ちも私の所に届けてよ。強くなる為に受け入れた大事な人を、私にも教えて』

 

 そう言って笑ったくいなは、約束を交わしたときと同じ、晴れやかな笑顔。

 

 目が覚めた時、俺は泣いていた。

「・・・・ありがとう」

 教えてくれた親友。約束を交わしたあの日から、俺の道を指し示してくれている大切な友。

 そして。近寄りたいと思うのは、あのちぐはぐな表情の変な奴。

 大丈夫。その言葉に背中を押されて、俺は一歩踏み出した。

 

 

 まだ暗い部屋と、戻って来ていないあの男に、眠ってからそれほど時間が経っていないのだと悟る。

 ハンモックから起き上がり甲板へと出た俺は、思った通り明かりの点いているキッチンへ足を向けた。

 

「おい、酒くれねぇか・・・お?」

 何を話したらいいのか分からなくて、結局いつもと同じ台詞を口にしながら覗いたキッチンには、香ばしい匂いが漂っていた。

「おら!すきっ腹に呑むなっていつも言ってんだろ!」

 乱暴に酒とつまみを並べるコックは、なぜか赤い顔をしていた。変な奴。

 それでも準備されていたつまみに嬉しくなって、俺は当初の目的も忘れて席に着き手を合わせてから、食べ始めた。

 酒を注いで寄越し、正面に座ったコックの様子に、ふと内心首を傾げる。眉を寄せ煙草をふかすその表情はいかにも不機嫌だ。それなのに、纏う雰囲気は穏やかで、暖かかった。

 噛み合わない表情と雰囲気。そこでようやく俺はここに来た目的を思い出した。

 思い出したはいいが、どう切り出したものか悩む。結局難しいことを考えるのは諦めて、手にした酒瓶を奴に突き出した。

 

「あ?何、もう飲み終わったの?」

 間抜けな返事に、軽くイラついた。が、イラついても仕方ないので言葉にしてやる。

「たまには、お前も付き合え」

 そう言った時の奴の様子は、見ものだった。意味不明な返事をしてグラスを取りにいく様は挙動不審、という表現がぴったりだった。

 笑い出しそうになるのを堪えて持ってきたグラスに酒を注いでやる。ちらちらと視線を寄越しながら呑みだした奴は、嬉しい様な、戸惑った様な顔をしていた。

 そして、纏う雰囲気も、同じもの。

 

 会話も何もない酒盛りで、奴の雰囲気が表情と同じものであるという事に、何故か、安心した。

 そして、俺が少し近寄ったことでそうなったという事が、嬉しかった。

 今なら言えるかもしれない。そう思い口を開く。

 

「たまに・・・眠れ無ェ時があるんだ」

 

 見返してくる瞳に、僅かに気恥ずかしさを覚えて視線を逸らす。

 

「たまに、いろんな事に囚われて眠れ無ぇ時があるんだ。そんな時は大体甲板とかで一人で居るんだが、なんだか落ち着かなくてな・・・」

 

 驚いた様な表情に何となく居心地の悪い思いがする。

 そりゃそうだろう。俺と奴は、喧嘩仲間といった表現が一番しっくり来る。こんな弱みを見せ合うような仲じゃない。

 それでも、一度開いてしまった口は止める事が出来なかった。

 

「けど最近、お前がここに居て、酒、くれたりするから。その・・・」

 

 気恥ずかしい。居心地が悪い。落ち着かない。

 そんな気持ちを表すかのように俺の手はせわしなく動いていた。

 奴はというと、両手で酒の入ったグラスを握り締め俺を凝視していた。突然こんなことを話し始めた俺に、驚いた様な表情。そして、驚いた様な雰囲気。

 

 ずれていない。感情と表現が合っている。

 そんな事が、ひどく嬉しい。

 自覚してしまった自分に少し困ったりもしたが、見つけた答えに安堵の息を吐く。

 

「そんな時は、何だか気持ちが落ち着いてよく眠れるんだ。」

 

 近寄りたい。

 俺も、苦しい時には、辛い時には、少しだけ口にするから。

嬉しい時には笑って欲しい。

 悲しい時には泣いて欲しい。

 

 この気持ちに名前を付ける必要は無い。名前なんか無くても、今思う気持ちは本物だから。

 

「だから」

 

ありがとな。

 

 照れ臭くて堪らなかったが、自然に言葉が出てきて笑うことが出来た。

 

 

 正直その後、あいつがなんと答えて、どんな会話をしたのか覚えていない。

 気が付いたら俺は後甲板の壁に寄りかかって座っていた。壁越しのキッチンから水の流れる音がする。それが気持ち良くてボンヤリと聞いていた俺は、止まってしまった水音に些かがっかりした。

 その時聞こえてきたのは、微かな笑い声。

 コック?何笑ってるんだか。

 

「ま、多分あいつは酒とつまみに釣られてるだけだろうけどな」

 

 俺かよ。

釣られてるか?・・・・否定はしないが。

 

 否定はしないが、それだけでもない。ほんの少し不満に思った瞬間、聞こえてきた台詞に、噴出しそうになった。

 

「明日からは、ガッツリと気合入れて口説かせてもらうぜ!」

 

 何故そんな結論になる。いや、近付きたいと思ったのは俺だが。

 思いがけない台詞に困惑している間に、キッチンの明かりは落ちて、奴が甲板に出てきた音がする。

今見つかっては不味い気がして、咄嗟に息を詰め気配を殺した。

後甲板に俺が居ることに気付いていない様子のコックは更に訳の分からない台詞を吐いた。

 

「ラブコックを甘く見んなよ!」

 

 意気揚々と、といった風の足音が男部屋へと消えて行ったのを確認してから、俺は堪らず声を殺して笑った。

 変な奴。やっぱり、相当変な奴だ。

 

 ひとしきり笑って、大きく息を吐く。今まで感じていた不安は、どこを探しても見当たらなかった。

 ごろりと甲板に寝転んで空を見上げると、大きな満月が浮んでいた。その中に、親友の笑顔が映る。今日は良く眠れそうだ。

 

「ま、せいぜい頑張りな」

 

 もう一度小さく笑って、瞳を閉じた。

 

 そうそう簡単には落ちてやらない。

 けど、そうだな。

 お前が。

 嬉しい時に笑って、悲しい時に泣くようになったら、考えてやるよ。
                                                              END


ゾロサイドでした。
・・・おかしいですね?なぜにゾロは確信犯くさくなってしまうのか・・・。
男前だから?(え
そして長月は、ゾロが悩んだ時などにはくいなちゃんを出すのが好きみたいです(笑
でも、やっぱりね。鷹の目とは違うゾロの目標ですからね。
あ〜くいなちゃんも好きだ〜

では!最後まで読んでくださって有難うございました!

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