「なあ。サンジって何処の人?」
「んー?秘密だ」
「なんだよ。ケチ」
「人間ちょっと謎があった方が魅力的だろ?」
「アンタ、ちょっと所じゃないじゃん」

 
ぷうと膨れるゾロに「違いない」と笑ってサンジは傍らに置いてあった鞄の中を漁った。取り出したのは小さな紙袋。緑色のリボンで結ばれたそれをゾロへと手渡す。
 
首を傾げたゾロに視線で開けてみるように告げると、素直に応じた少年は中に入っている物に微かに嬉しそうな表情を見せた。
「食べていい?」
「どうぞ」
 
子供らしい丸みの残る手で取り出したのは、小さなマドレーヌ。律儀に「いただきます」と挨拶をして頬張るゾロをサンジは目を細めて見遣り、取り出した煙草に火を点けた。






 
二人が初めて出会ったあの日、結局それ以上は会話を交わすことなくサンジは丁寧にランドセルや服に付いた泥を拭ってくれて、ゾロは公園で服を洗う事を諦めた。
「ありがとう、ございました。・・・それじゃ」
「ああ、ゾロ」
 軽く会釈をして帰路に付こうとしたゾロを呼び止めて、サンジはとん、と再び腰を下ろしたベンチを指先で叩く。

「俺はここに居るから。気が向いたら何時でもおいで」
 
胡散臭い事この上ない男の申し出に、ゾロはもう一度会釈をするだけに止めて背を向けたのだった。



 
いくら拭ったといってもやはり汚れが目立つ服を見た家人は、予想通り嫌そうな顔をした。しかも泣き帰った子供の親から連絡が入っていたらしく、懇々と説教だか嫌味だか分からない話をされる。黙って聞いていたゾロが最後に「すみませんでした」と頭を下げると漸くその場を離れる事を許された。
「まったく。面倒ばかり起こすし、顔色を変えることもない。本当に可愛げのない子だ」
 
隠すつもりはないらしい。寧ろゾロに聞かせるために呟いたのだろうその言葉は、氷の刃となってゾロの心に突き刺さった。

 
時が経てば氷は溶ける。しかしつけられた傷は癒される事なく幼い心を苛んでいた。
「大丈夫。俺は、大丈夫・・・・」
 
部屋に戻ったゾロは布団に潜り込み、己が身を守るようにぎゅうと丸くなって繰り返す。

 
だって自分は愛される資格などないのだから。
 
父親が殺してくれなかったあの日から、愛される事など諦めたのだから。



 
もう泣かないと、誓ったのだから。



「俺はね、ゾロ。お前に会いに来たんだ」
 
蘇る声は温かく身を包んで。
 
名前しか知らない不審な人物。普通に考えたら今日話をしたことだって褒められた事ではない。今日び「知らない人には付いていかないようにしましょう」なんてわざわざ注意するまでもない事だ。
 
けれどあの蒼い瞳は少し位信じてもいいんじゃないかと思わせる、不思議な色だった。髪を撫でてくれた手は、ひどく優しかった。

 
本当に、またあの公園に居るだろうか。会いに行ってもいいのかは分からないけれど。
 
会いにいくかも、分からないけれど。
 
そんなことを考えながら、いつしかゾロは眠りの世界へと落ちていった。



 
次の日。隠れるようにして公園を訪れたゾロは、ベンチに座っている人物を認めて足を止めた。
 
昨日と同じ様にのんびりと煙草をふかしている男に声を掛けたものか躊躇していると、目聡くゾロを見つけたサンジがにっこりと笑って手を振る。
 
恐る恐る傍に寄ったゾロはサンジの傍らに置いてある鞄に気付いた。「今日はお土産」と悪戯っぽそうに微笑んだサンジは鞄を漁ってひとつの箱を取り出す。箱に入っていたのは綺麗に並べられたチョコレートだった。
「これ・・・」
 
どうしたの?と目で問いかけると、サンジは一粒指で摘むとゾロへと差し出す。
「作ったの。俺、コックさんだからね」
「へえ・・・」
 
素直に受け取ったゾロだったが、さすがに口にして良いものか迷う。困った様に眉を寄せたゾロにサンジはああ、と頷くともう一粒取り出して自分の口へと放り込んだ。

「『知らない人から物を貰ってはいけません』?」

 
こくりと頷いたゾロに「真面目だねぇ」と苦笑する。
「俺とゾロは昨日会った。名前も知ってるし、今俺の仕事も聞いた。ほーら、もう知らない人じゃねぇだろ?」
「それって、知らない人とほとんど変わらないと思う・・・」
 
大体サンジって見るからに怪しいよ。半ばからかう様に返したゾロにサンジは大袈裟に肩を落とした。昨日と同じだな、と思い出したゾロはつい我慢出来ずに笑い出した。

 
くすくすと笑い続けるゾロとそれを恨めしそうに見遣るサンジ。笑いの発作がおさまる頃には抱いていた警戒心などすっかり消えてしまっていた。
 
手にしたチョコレートを口に含む。ほんのりと甘いチョコレートは口の中ですぐに溶けて豊かな香りが広がる。とても優しい味だった。
「おいしい」
「だろ?俺様は一流のコックさんだからな」
 
得意そうに笑うサンジにつられてゾロも笑顔を返す。
 
サンジは昨日別れた後の事やゾロの境遇などは一切聞かなかったし、ゾロも言わなかった。ただ二人でチョコレートを食べながら他愛もない会話を交わして、その日はそのまま家に帰った。


 
それからは学校帰りに公園に寄るのがゾロの日課となり、サンジは言葉通りいつも公園のベンチで自分が作ったおやつを持って待っていた。
 
いつだってたいした話をするわけでもなかったし、お互いの事は何も話さないままだったけれども、ゾロにとってその短い時間は唯一安らげる大切なものとなっていった。







「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
 
マドレーヌを食べ終わったゾロが手を合わせて頭を下げる。口の端に付いた食べかすを取ってやったサンジはそのまま帰宅準備を始めたゾロに首を傾げた。
「今日は随分と急いでるんだな?」
「うん。今日は用事があるんだ。ええと・・・ホウジ」
「へぇ」
「だから早く帰って来いって言われてるんだ。じゃあね、サンジ」
 
出会った頃に比べれば格段に笑顔が増えた少年が大きく手を振って駆け出す。
 
優しく笑って手を振りかえしたサンジは、ゾロの姿が見えなくなってから手を下ろし僅かに表情を曇らせた。
「法事、ね・・・」
 
呟いた声は低く、何かを案じているようだった。

 
吹きぬけた風が木々を揺らしてザワザワと音を立てる。心を急き立てられるような感覚に陥ったサンジは口の中でたった今別れたばかりの少年の名前を呼んだ。

 
返事など返るはずもない。それきり黙したサンジはただ黙ってゾロが出て行った入り口をじっと見つめ続けていた。










 
喪服を身に着けた大人達に囲まれて、自らも窮屈な黒い服を纏ったゾロは落ち着かない気分でもぞもぞと足を動かした。
 
数える程しか嗅いだ事のない線香の匂いは矢張り少し苦手で、奇妙な呪文にしか聞こえない読経は眠気を誘う。足が痺れるのと襲ってくる睡魔を退けようと身動きすれば、周りの大人から睨まれる為、ゾロはひたすら前を見据えて耐えていた。

「やっと終わった・・・・」

 
長い長い読経を終えた住職が家を後にしたのは数時間後のことで、子供にとっては永遠にも近いものがある。
 
他の子供たちはとっくに飽きて別室で遊んでいたが、ゾロがそれに加わる事はなかった。最後まで同席する事を命じられていた事と、子供たち自身もゾロを仲間に入れる気はなかったためだ。
 ただ一人何かと気を掛けてくれた少女が居たが、自分のせいで彼女まで仲間外れになっては悪いとゾロから拒絶していた。

 
居心地の悪いこの時間ももう少しで終わるはずだ。この後大人たちが集まる今に顔を出すように言われていた事を思い出し、ゾロは重い溜息をつきながらその部屋へと足を向けた。







「家はもう5年も面倒を見たんです。今年からは他の所にお願いしたい」

 
開口一番に告げたのは今ゾロが住んでいる家の主だった。
 
場に集まった親戚たちはその言葉にざわめきたつ。「うちも手一杯だ」「そんな余裕などない」各々視線を逸らしつつぼそぼそと拒絶の言葉を紡ぐ。


 
自分の事なのだから此処に居なくてはならない。
 
交わされる会話がどれ程心に傷を付けるとしても。

「大丈夫。俺は、大丈夫」

 
自分の心を守るためのささやかな呪文を口の中で繰り返しながら、部屋の隅に座ったゾロは膝の上で握った手をじっと見つめていた。


 
同席を命じておきながら、大人達はゾロはその場に居る事を忘れてしまったかのように話を続けていた。
 
結論は出ず、次第に言葉がきつくなっていく。
「大体なんであんな可愛げのない子を引き取らないといけないんだ」
「うちだってそれでも面倒を見てきたんだ。次はあんたらの番だろう」
「今まで出来たのだから最後までそっちで預かればいいだろう!」
 
とうとう大声で怒鳴りあい始めた周りの言葉をこれ以上聞いているのは辛すぎて、ゾロは両手で耳を塞ごうとした。


 
しかしその動作は一瞬遅く、溜息混じりに呟いた女性の声が耳に届く。




「あの人もどうせ死ぬなら一緒に連れて行けばよかったのに」




 
心が急激に冷えていく。
 
愛される事など無いと、それでも自分は大丈夫なのだと。言い聞かせ続ける事で編み上げた鎧はその言葉の前では全くの無力で。
 
粉々に砕かれた鎧の奥で剥き出しになった心は切り刻まれ、悲鳴を上げた。


 
がたん!!ばたばたばた・・・!


 
突然立ち上がり部屋を駆け出していく音に大人達は口論を止め、開かれたままの扉を見つめる。
「いきなり出て行くなんて非常識な・・・」
「非常識なのはどちらですか」
 一人が眉を顰めて呟いた時、すっと輪の中から一人の男性が立ち上がった。
 髪をひとつに束ね丸い眼鏡を掛けた男性は、普段は優しく細められている瞳から鋭い眼光を放ち一同を見据える。


「子供だから何を言っても分からないと思っているのですか。それとも分かっていて傷付かないとでも?あの子は賢い。今までもきっと多くのことを耐えていた。それを貴方達は心無い言葉で追い詰めたんですよ」


 
低く告げる言葉に周囲の大人は気まずげに視線を逸らす。
「それならアンタが引き取ればいいだろう。遠いと言っても一応親戚なんだから」
 
一人の親戚が顔を歪ませて吐き捨てると、男性はいっそ冷ややかに相手を見遣った。


「もちろんそのつもりです。そして彼は二度と貴方達には近付けない。・・・・おいで、くいな。彼を探しに行こう」


 
踵を返した男性が開かれた扉に向かって手招きする。顔を出したのは唯一ゾロを気に掛けていた少女だった。
 
響く口論と大きな物音に不審に思って近くまで来ていたらしい。大まかな会話を聞いていた少女は差し出された父親の手を取って共に歩き出す。



「あなた達なんて、大っ嫌い」
 一度だけ振り返った少女の瞳は、強い輝きを放って醜い大人達を貫いた。




おかしいな。終わりませんでしたよ?
後半、サンジも居ませんでしたよ?先生とくいなちゃん良いとこ取りですよ?
・・・・・おかしいな?(二回目)
これでも色々削ったんですけどね・・・^^;;
えーと、後一回で終わる予定です。多分。
(’08.9.20)

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