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 自分の身体が壁から離れ、花の香りのする腕に抱えられていることに気付いた。悲鳴を上げる精神に必死の思いで耐える間、大切な仲間達の声を聞いた気がする。そして、誰よりも大事に思う男の声。

 
こんな時に思い出すのが、あの男の顔だなんて。俺も大概末期だ。

 
崩れていく思考の中で苦笑する。
 
それでも、最後に思い浮かべることが出来て良かった。

 
すでに限界だった。このまま壊れてしまおうとする精神を引き止める力も失いかけたゾロは、己の身体を支える腕と耳に飛び込んできた衝撃音に、僅かに残った理性を掻き集め瞳を持ち上げる。

 
そこに映ったのは、彼の仲間たちと、幾度も思い浮かべた金色と蒼という鮮やかな色を持つ男。震える息を吐き出し、口元に笑みが浮ぶ。

 
ああ。逢えた。もう、いい。

 
今度こそ崩れ落ちようとした心は、冷えた言葉に再び引き止められた。




死んで、償え」




 
唯一己の上に立つことを許した男の声。それがひどく冷たい響きを持っていたことよりも、その内容に愕然とした。
 
薬に与えられる苦痛など忘れるほどの痛みを伴って耳朶を打つ、その言葉は。


 
お前が、言っては駄目だ・・・!


 
必死に伝えようとするも、ひゅうひゅうと息が漏れるばかりの咽喉は役目を果たしてはくれなかった。

 
ならば瞳を。目が合えば、きっとルフィなら解ってくれる。

 
唇を噛み締め、自分の意志から逃げようとする神経を捕まえ、頭を持ち上げる。やっとの事で部屋の様子を収めた翡翠色の瞳は、映った光景に極限まで見開かれた。



 
ごきりと嫌な音が響き、刀を握っていたザンデの右腕が奇妙な方向に曲がった。悲鳴を上げようとした咽喉はルフィの右手に掴まれくぐもった音を漏らしただけだった。右手でザンデの咽喉を掴んだまま、骨を握りつぶした左手を振り上げる。その左手はそのまま何度もザンデの上へと降り注いでいた。振り下ろすたびに新たな血飛沫が上がり、ルフィを赤く染めていく。
 扉の近く、壊された壁の前にはナミとウソップが居た。其処から部屋の中央に近い場所にチョッパーとロビンが。
 天候棒を操るナミ。火薬を扱うウソップ。ランブルボールを使用し変形したチョッパー。優雅に腕を咲かせたロビン。
 彼等は周囲を取り囲んだ男達と戦っていた。しかし、その戦い方は明らかに今までと違っていた。それは、先程発せられた船長の言葉に沿ったもの。


 勝つ為ではない。殺す為に。


 
そして。部屋の奥にいる何時でもありったけの優しさを周りに振りまいている男は。

 
赤いドレスの女の傍にいた男を、その手で殴り飛ばしていた。

 
料理をする為の手だと言っていた。戦闘では決して使わないと。誇らしげに鮮やかな笑顔を見せていたその顔は、今は何の感情も浮んでいない。

 
無表情のまま、襲い来る男を殴るその手は赤かった。床に転げ悶絶する男の顔を踏みつける。頬骨の砕ける音がした。そのまま感情の無い蒼い瞳は、息を呑み立ち尽くすミラルカへと転じられる。ゆっくりとそちらへ向かいながら告げられた言葉には、やはり何の感情も浮んではいなかった。

 「
アンタがゾロを傷付けるのに使った刀は、アイツの何よりも大切な物だ。それをアンタはくだらない趣味の為に汚した。許されると、思うな」

 
悲鳴を上げようと、大きく口を開いたミラルカに向かって、赤い拳が振り上げられるのを見たゾロは頭の奥で何かが弾ける音を聞いた。


 
駄目だ。


 
駄目だ。


 
駄目だ。


 
ルフィ。お前の戦い方は、相手の心の槍を折ることで勝つんだろう?

 
ナミ。お前の手は世界地図を描くためにあるんだろう?

 
ウソップ。勇敢な海の戦士にこんな汚い戦いは必要ないだろう?

 
チョッパー。医者のお前の手は病気を治すためにあるんだろう?

 
ロビン。お前の手は遺跡を知識を守るためにあるんだろう?


 
そして。


 
サンジ。お前の手は料理をするためのものなんだろう?お前の手は、人を生かすためにあるんだ。女は攻撃しないと言っていたじゃないか。お前の信念なんだろう?


 
駄目だ。お前達がその手を赤く染めるなんて、駄目だ。それは俺だけでいいのに。


 
殺すなんて、駄目だ。


 
お前たちの手が血で汚れるなんて、駄目だ!!!




「―――――――!!!!」




 
無音の叫びが空気を震わせた。
 
その音に、目の前にいる敵の息の根を止めようとしたクルー達の手が止まる。
 
振り下ろそうとした手を胸の前に握り締めたサンジの瞳には、消えていた感情が戻っていた。

 
自らに襲い掛かってくるであろう衝撃に身を硬くしていたミラルカも、その音に顔を上げ、ルフィによって致命傷に近い傷を負ったザンデは、動きを止めた海賊を跳ね除け、のそりと立ち上がり音の主を見つめた。

 
部屋にいる全ての人間の動きを止めた音は、ゾロの咽喉から発されていた。



 
総ての感情を飲み込み、震わせた音の無いそれは、確かに獣の咆哮。



「ゾロ・・・・」
 
彼の名を呼んだのは誰だっただろうか。


 
音高く咆哮した獣は自らの傍らに転がる刀に手を伸ばした。ゆっくりと立ち上がる獣の筋肉が撓り、鎖の引き千切れる音が響いたと思った瞬間。赤い影が鉄格子の内側から躍り出た。
がっっ!!」
「ぎゃあっ!!」
 
広い部屋の中、赤い影が縦横無尽に駆け抜ける。その影が通り過ぎた後、まだ命のあった男達は断末魔の悲鳴と共に真っ紅な飛沫をあげ、ばたばたと倒れていった。

 
武器を握った手が断ち切られ、鮮血と共に宙を舞う。胴体と別れを告げた頭部が、鈍い音を立てて床に転がる。肩の高さまで身長が縮んだ身体は、噴水の様に紅い液体を噴出し、どちらに倒れようか迷うかのようにゆらゆらと揺れた後、仰向けに沈んでいく。鋭い牙を持った獣は、一度も立ち止まる事無く己が獲物を狩っていた。その度に白い部屋は赤い色へと模様替えされていった。


 
悪夢のような光景に、ミラルカの身体が震える。決して御する事の出来ない獣に手を出してしまったのだと、初めて理解した。

「ゆ・・・許して・・・」
 許しを請うて、傍に立つ黒いスーツの男に伸ばそうとした手は、目的のものに届く事はなかった。
 震える自分の指先と呆然と立ち尽くす男の間に、紅い影が飛び込んでくる。壮絶な輝きを放つ瞳に射抜かれ、本能的な恐怖がミラルカを襲った。

「い・・嫌・・・。・・いや・・・あっ・・・!?」

 
悲鳴を上げた咽喉から、ごぼりと嫌な音が漏れる。口から溢れた血にのろのろと視線を下げたミラルカの目に映ったのは、己の胸に沈む鋭い刃だった。
 
ぐリ、と捻られた刃に細い肢体が痙攣する。その口から再び血と泡が吐き出された。
 
引き抜かれる刃と共に目を見開いたまま床に沈んだミラルカは、既に絶息していた。



 
己の血と、返り血に染まったその姿に、ナミ達は動くことが出来なかった。獲物を狩る肉食獣の眼に、ただ息を呑み見つめるばかりだ。締め付けられるような思いに胸が痛んだ。
「ゾロ・・・もう、いいよ・・・もう、大丈夫なんだよ・・・」
 
涙を滲ませたチョッパーがゾロへと歩み寄ろうとした時、その肩をルフィがとめた。

「ルフィ?もうゾロを休ませて、治療しないと・・・!」
「まだだ」

 
その言葉の意味が分からず眉を顰める。その時地を這うような笑い声が響いてきた。




 
肩を揺らし笑っているのはザンデだった。折れた右腕を垂らし、左手で円月刀を構えた男は、真っ直ぐにゾロを見つめていた。致命傷を負っているとは思えない程の気迫だった。

「魔獣・・・血に飢えた獣か・・・正に今のお前にぴったりだ・・・」

 
腫れ上がった口元から血を流したまま、一歩踏み出す。

「海賊狩り・・・魔獣・・・名を馳せたお前に挑みたくてこの海まで来た。だが、此処の領主に捕まった。・・・俺は、薬の魔力に逆らえなかった」

 
囁く毎に一歩、又一歩ゾロへと歩み寄る。

「憎らしいよ。麻薬にも屈しないお前が。・・・・妬ましいよ。剣士として前に進んでいくお前が」

 
正面に立ったザンデを、ゾロは何の感情も窺えない瞳で見つめた。いつもは澄んだ翡翠色の瞳は今、僅かに金色を帯び鮮やかに輝いている。
 
どこか恍惚とした表情で、ザンデは刀を振り上げた。


「殺したいよ。鮮やかな魂を持つお前を!!」


 
ザンデの円月刀が唸りをあげる。
 
再び咆哮し、ゾロが地を蹴る。

 
二つの影が交差した、その一瞬の後。
 
頸部から血を噴出したザンデの身体が一度大きく揺れ、そのまま床へと倒れた。

 じわじわと床へ広がっていく血に沈んだその表情は、何故か満足そうだった。





 
沈黙という闇が広がる部屋に、ゾロの荒い呼吸だけが響いていた。ナミも、ウソップも、チョッパーも、ロビンも。その闇に囚われて動くことが出来ない。其処に立っているのは確かに彼らの仲間の筈なのに、赤く染まった姿と鋭く輝く金色の瞳に、己の咽喉を差し出してしまいそうになる。そんな緊張感があった。

 
それを打ち破ったのは、サンジだった。

「ゾロ。もういい。・・・・・帰ろう」

 
その姿にも瞳にも、臆する事無く歩み寄り、穏やかな声で話しかけたサンジはゾロの頬に手を添える。
 
触れた掌にゆっくりと瞳を閉じ、再び開いたそれは金色ではなく、澄んだ翡翠色をしていた。その瞳が目の前に居るサンジを認めると、僅かに歪められた。和道が手から滑り落ちる。力を失い倒れ行く身体を、サンジはしっかりと抱きかかえた。

 
刀が床に落ちて立てた澄んだ音に、一同が我に帰る。口々にゾロの名を呼び、傍へと駆け寄った。

 
自分を抱きかかえるサンジの手が、駆け寄ってくる仲間の手が、赤いのを見て取ったゾロは、何かに耐えるように凭れ掛かったサンジのシャツを握り締めた。心配そうに自分を見つめる仲間に何とか笑いかけようとして、それは失敗に終わった。

 
苦痛の為か、別の原因の為か、震える唇から掠れた言葉が零れ落ちる。ともすれば聞き逃しそうなその言葉は、確かに全員の耳に届いた。



「お前達の手が、血に汚れるのは、嫌なんだ。そんなの、俺だけで、いい」



 血に濡れた頬に、たった一粒。
 透明で穢れの無い雫が、流れ落ちていった。



何の前触れも無くチョイグロな表現を入れてしまいましたよ・・・。
苦手な方ゴメンナサイ。
ゾロだって只の囚われたお姫様じゃないのさ。
精一杯皆を守りたいと思っているのさ。
その方法と言葉が正しいかは・・・さて。
(’08.8.30)

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