バラティエ王国。大陸の南端に三角形に突出した半島で、総人口一千二百万程の小さな国である。
国が誕生して凡そ四百年。元々はこの土地に辿り着いた海賊が祖先だと言われている。しかし周囲を取り囲んだ輝かしい海と肥沃な大地のお陰か、現在の国民性はのんびりとしたものだった。
温暖な気候で国の中央を大きな運河が流れており、其処から無数に分岐する河は国の端々まで清冽な水の恩恵を運んでいる。年に数回起こるスコールで度々氾濫しているが、それによって運ばれた土砂が土地を肥沃なものへと変えていく。その豊かな大地と時に激しい嵐を巻き起こすものの普段は懐深い海に支えられ、人々は農業と漁業によって不自由なく暮らしていた。
ともすれば何の特色も無い国のようであるが、国民は総じて指先が器用な者が多く、珊瑚や真珠、貝殻に至るまでの細工が得意であり、繊細且つ洗練された高い技術を持つ細工師を多々輩出している。また豊富な海の幸や大地の恵みから、優れた料理人が多いことでも有名だった。
そんな王国の戦争の歴史は、過ごしてきた年月に比べると驚くほど少ない。国民性の問題でもあるが、最大の理由は地形にあった。
国境のほぼ三分の二は海に囲まれ、残りの三分の一は荒い岩肌に覆われた山脈によって守られている。スカルラインと呼ばれるこの広く横たわる山脈に、鉱物等の資源があったのなら話は別だっただろう。利益を求める強国等に狙われ、搾取されていたに違いない。しかし幸いな事にと言ったものか、眼下に広がる大地には不似合いなほど荒涼とした山脈は、目ぼしい資源を欠片も含んでおらず、代わりに王国の壁としての役目を立派に果たしていた。
こうなると山脈を越えてまでただ肥沃でしかない大地を侵略しようとする国は殆ど無い。大陸内に存在する数多の国々にとって、領土拡大の為に各地で小競り合いを展開している最中にわざわざ山越えする余裕などない。仮に山越えを強行して運良くバラティエ国を手に入れたとしても、其処に至るまでに消費した糧食や人材の割に合わないからだ。
逆に肥沃であるが為に手に入れんとする輩も当然いる。そう言った輩は様々な消費が激しい山側からではなく海側から攻め入ってくるわけだが、ここでバラティエ国民に流れる遠い海賊の血が十二分に発揮された。
元々海と共に生きている様な彼等なのだ。船の扱いに遅れをとるはずが無い。数少ない戦いの歴史はその殆どが海上戦であり、完全な敗北は皆無であった。
現在、そんな王国を治めるのが第12代目国王ゼフだ。
ゼフは一言で言うと武勇の王である。元々は職業軍人の集団であった騎士団の再編成・規律改定は現王一代で成し遂げられたのだ。国民柄に違わずなかなかに器用な性質であった国王だが、工芸関係は左程興味がなかったらしい。積極的に盛り上げはしない代わりに、援助自体を惜しむこともなかった。要は「金なら貸してやるから、したい奴はやったらいいんじゃね?」という何ともアバウトな方針で、これを是と取るか非と取るかは個々の判断であろう。
少なくとも今現在、関係者からの反発は無い。無いと言うよりも「まぁああ言う王様だからねぇ」的に笑って済まされている。「ああいう王様」とは政の方針よりも国王自身の人柄に寄せられるものが殆どで、それは好意的な意味合いが強かった。
武力面に重きを置く治世者は、えてして畏怖を集める者が多い。だがゼフはよく言えば大らか、有体に言えば大雑把な性格が幸いして、民衆の支持は高い。
確かにゼフは奢った所が無く、ぞんざいな口調であっても含まれる優しさに偽りは無い。親しみ易い王が受け入れられるのは当然の事だ。
だが其れだけではない、とゾロは思う。
確かに今まではそれだけだったのだろう。大陸内は覇権争いで千々に乱れ、各国の力は拮抗していた。侵略の対象にされようと、相手は自国とそう変わりない程度の力しか持っておらず、本当の脅威と成り得る存在は無かった。その為、慕われる原因は国王の人柄にこそあったと言っても良い。
しかし近年、大陸の中央部は不穏な空気に包まれている。とある一国が急激に力を付けて、近隣の国々を圧倒していると言うのだ。
中央部が制圧されれば、当然この国にも手を伸ばしてくるであろう。その時にこそ武勇を誇る国王が力を発揮してくれることを、今の国民は期待している。
国王自身もそのことを理解している。「昔はああしろと言っておきながら、今度はこうしろとぬかしやがる。全く王様なんざなるもんじゃねぇよ」と笑いながら、いざ事が起きた時には先頭に立ち全力で対抗する覚悟でいる。だからこそ民は国王を慕い、ついていくのだ。
素晴らしい王だと思っている。心から敬愛してもいる。
初めての謁見から既に五年。その想いはますます深く、強固なものへと変化している。
それ故にゾロの心には、未だ国王の言葉が深く根付いている。
そしてまたそれ故に。
ゾロの心は、真に自らの全てを捧げる相手は国王ではないと感じていた。
「ロロノア殿、ロロノア・ゾロ殿!」
パタパタと近付いてくるせわしない足音に、ゾロはまたかと言う思いで足を止めた。僅かに息が上がっている呼び声は、振り向かずとも脳裏に顔が浮かぶほどに聞き慣れた人物の者だ。
思わず漏れそうになった溜息を寸での所で飲み込んで、出来るだけ柔和な表情を形作って振り返る。
「殿下なら、今の時間ならば中庭の噴水の陰にお隠れになっているかと」
相手の言葉を待たずに端的に答えてやると、相手は一瞬目を見張った後、ほっとしたような笑みを向けてきた。
「ヨホホ。有難う御座います。私一人ではどうしても見つける事が出来なくて」
お陰で助かります、と頭を下げた男は王太子の従者、ブルックである。ゾロよりもずっと年上であるはずだが、ブルックは若輩者に対しても丁寧な物腰と誠実な人柄で好感の持てる人物だった。ただ人が良い分抜けている部分もあって、一所にじっとしているのが苦手な王太子に度々撒かれてはゾロに頼ってきている。
全く、困らせるのもいい加減にすれば良いのに。
内心の思いが顔に出てしまっていたのか、目の前の従者は決まり悪そうに頭を掻いた。
「ヨホホホ。毎度毎度逃げられる私が至らないのですけれどね」
「・・・・・いや。殿下が貴公に甘えていらっしゃるのですよ」
不躾な態度を詫びて視線を下げるゾロにいやいやとにこやかに笑うブルックは、サンジの気持ちが良く分かっていた。結局サンジは、彼がゾロに頼ることを知っていて、わざと隠れてみせるのだ。
お気に入りの人に構って貰いたい王太子と、憮然としながらもサンジのことを一番理解しているゾロは、年配のブルックから見れば微笑ましい関係だった。
「ああ、こうしてはいられませんね。すみません、ロロノア殿が来られるまでには殿下の支度を済ませますので!」
来た時と同様にぱたぱたと走り去っていく従者の後姿を見送りながら、ゾロは今度こそ盛大な溜息を吐いたのだった。
「お前な。どうせすぐに見つかるんだから、いちいち隠れてブルック殿に迷惑をかけるのは止めろ」
「五月蝿い。ちょっとした遊び心だろ」
十数分後、王太子の居室に辿り着いたゾロは開口一番、説教を始めた。ぶすりと口を尖らせる王太子はいかにも不機嫌そうであったが、ゾロを見遣る瞳は楽しげな光を宿している。
現在サンジは十三歳。柔らかそうな頬や白い肌はそのままだが、手足はすらりと伸び若木の様なしなやかな身体へと成長している。何よりも深い蒼色の瞳は生命力に満ち、見る者に鮮烈な印象を与えた。
対してゾロは二十歳。少年期を終え青年期を迎えた彼の身体は、細く見えてもしっかりとした筋肉に覆われ、躍動感に溢れている。シャープな線を描く眉と昔に比べ幾分鋭さを増した瞳が意志の強さを表しており、それが彼を実際よりも年上に見せていた。
鍛錬を怠らないゾロは、この歳にして既に国内随一の剣士をして名を馳せており、将来最年少の騎士団長となるかと噂されるほど将来を目されていた。とは言っても現在は一介の騎士に過ぎない彼が何故王太子の居室へ立ち入りを許されているかと言えば、ゾロがサンジの護衛兼教育係だからに他ならない。
その役目は凡そ一年前、国王直々に命令を下された。
勿論政についてや諸々の基礎的な教育にはそれに相応しい人々が任命されている。ゾロに任せられたのは、それ以外の指導だった。
曰く「根性入れてやってくれや」
言われた側としては「えええ〜・・・・」的な台詞だが、要は一人の人間として、また王家の一員として、備えていなければならない事柄を身に付けさせろと言うことだ。それに伴い、本来ならば王太子に面会する為に幾重にもこなさなければならない取次ぎも全て免除された。
その時ゾロは十九歳。それだけ信頼されていたのだろうが、随分と思い切った人事には違いない。
勿論古参の家臣達の中には反発する者もいた。若造に何が教えられるのかと陰口を叩かれることも多かったが、宮廷に上がってからのゾロの実直な行動は誰しも認める所であったため、批判の声が大きくなることは無かった。加えて幼少期の出会いのせいか、ゾロに見縊られるまいとするサンジの姿勢がそれを後押ししていた。
結果的に一年経った今、ゾロは実力を備えた剣の腕前と共にサンジの護衛兼教育係として認められつつあるのである。
ついでに先刻からゾロの言葉使いがぞんざいなのは、「なんか面白くない」と言う王太子の希望のせいだ。この辺は親子で似ていると思ったことは秘密である。
しかし「根性を入れる」意味では対等な立場にいても悪くは無いだろうと、二人きりの場合に限り格式ばった言葉使いと態度を止めて素で接しているゾロであった。
「なぁなぁ。今日は街にいく約束だっただろ?早く行こう!」
「そんなに楽しみならなんでわざわざ隠れるような真似をするんだ・・・」
不機嫌そうな表情を一変してわくわくと駆け寄るサンジに、呆れた声しか出ない。サンジ自身が言うように、ゾロが直ぐに居場所を当ててしまうのを承知の上での遊び心なのかもしれない。実際サンジが隠れるのはゾロが訪れる予定の時のみであるのだが、振り回される従者の身にもなれと言いたい所だ。
ただ、ぎゅうぎゅうと型に押し込めるようなやり方はゾロの本意ではない。振り回される従者もそれを楽しんでいる節が見受けられるし、暫くはこのままで良いだろう。
今にも一人で飛び出して行きそうなサンジの背を目で追いながら、ゾロはやれやれと肩を竦めた。
街に行く日、とはお忍びで城下を見回ることである。
これは元々はゾロの予定に無かった。以前からサンジは度々城の外に出たいと訴え周囲の家臣がこれを止めていたのだが、ゾロがサンジの側付きとなったばかりの頃、とうとう脱走を図ったのだ。
家臣達は慌てて王太子を探し回り、やっとのことで見つけたサンジはふらふらと市場を見て回っている最中だった。街を見て回るのは楽しかった、国の皆も楽しく暮らしているみたいだった、と笑うサンジに向かって、きつく注意をする家臣達の後方に控えながら、ゾロは別の面が気になっていた。
呑気に笑っている王太子は城下の実態を知らなさ過ぎる。流石に市場の流通についての知識はあったものの、そこに至るまでの苦難や努力を知らない。王太子が見た市場の人々の笑顔は偽りではない。偽りではないが、全くの真実でもないのだ。
このままではいけない、もっと民の生活を知らなければならないと痛感したゾロは、王宮内でただ知識として詰め込むだけではなく、実際に街に下りて自分の目で民の生活を確かめることを勧めた。
勿論重臣たちは渋った。気軽にお忍びなどされてたった一人の大事な跡取に何かあっては困る。どうしても城下に下りるならば、十分な護衛を付け視察と言う形式で良いではないかと繰り返すばかりだ。
王族が王族として視察をしても、民は真実の姿を見せない。そう何度進言しても首を縦に振らない彼等に、結局ゾロは引き下がった―――振りをした。
ある日、ゾロは周囲の目を盗んでサンジを市場へと連れ出したのだ。
出来る限り質素な服に着替えさせて(実はこれが一番てこずった。サンジは従者に手伝われながら着替えたことしかなかったし、ゾロは誰かの着替えを手伝った事など今まで一度も無かった)人通りの少ない回廊を選んで隠れるように移動して、門番には知り合いの貴族のご子息を送り届けるところだと方便を吐き、やっとの事で街へと繰り出した。
サンジは少年らしい好奇心を見せて終始楽しそうであったが、ゾロは心臓が張り裂けそうなほど緊張していたのを今でも良く覚えている。
それからゾロは、市場だけではなく農地や牧場、細工師の工房、住宅街までを回り、直に民の生活をその目で確かめさせた。その中で農地を襲う災害や人々に課せられた税金についても触れていく。何度も出掛けていく中で、ゾロが繰り返しサンジに言い聞かせたのは、人々はただ楽しんで生きているわけではなく、自分たちが生きる為に必死で働き、糧を得ているのだという事だった。
「でも皆笑ってるぞ。すげぇ楽しそうだし、困ってる事なんか無さそうに見える」
途中立ち寄った露店で物珍しそうに商品を覗いて回る姿が微笑ましかったのだろう。でっぷりと肥えた店主が笑いながら手渡してくれた果実を齧りながら、サンジが首を傾げる。
「そりゃ陛下のお陰だろうよ。商品が値崩れしないように国が見張る。作物が良く育つよう水路を整える。他にも色々だ。個人で出来ないことを国が肩代わりしてくれているんだ。だから民は自分達の仕事に集中できる」
「ええ〜・・・あのクソじじぃそんな事やってんのか?なーんか好き勝手やってるようにしか見えねぇけど」
手にした果実を齧りながら眉を顰めるサンジに、ゾロは苦笑するしかなかった。
確かに国王は好きなようにやっている印象が強い。持ち込まれた案件に対して、数人の家臣を選び出し「お前らでやって来い」と任せる事が殆どである。ただその人選は的確で、間違いが無い。各人が最も得意とするもの、若しくはその能力に長けている者に任せているのだ。だからこそ政が滞りなく進められている。しかしそれを僅か十二歳の少年に理解しろと言うのはまだ難しいだろう。
「好き勝手でも何でも、陛下は国王として最も重要な責任は十分に果たして下さっているぞ」
結局ゾロは細かい説明は全て省いて、今サンジに伝えるべき事柄だけを端的に示した。
「王は、王家の人間は、民を守らなければならない。民の生活を守らなければならない。民の笑顔を守らなければならない。これだけは、忘れるんじゃねぇぞ」
静かな声に反して向けられた強い瞳に、サンジは口に含んでいた最後の一欠片を慌てて飲み込んだ。
ゾロの瞳に宿る光に見覚えがある。初めて出会ったあの日、今以上に世間知らずだったサンジに向けられたものだ。つまり今ゾロが言っていることは、決して忘れてはならない事柄なのだ。約束を違えれば、ゾロはあっさりとサンジを見限るだろう
「分かった。忘れねぇ」
「よし」
幼さの残る顔を精一杯引き締めて頷いた王太子に、ゾロが笑う。
相変わらず我儘で世間知らずなサンジだが、素直な一面も持っている。傍らを歩く少年が小声で幾度もゾロの言葉を繰り返し、「よし、覚えた」と得意そうに一人頷くのを見たゾロは、昔躊躇した事が嘘のように、細い金糸に覆われた頭をがしがしと撫でたのだった。
こうして幾度目かの外出が無事に終わり、王太子の居室を後にしてのんびりと廊下を歩いていたゾロは、前方にコウシロウの姿を認めた。親子と言えども宮殿内では役職を重視せよ。その教え通りに廊下の端に寄り敬礼するゾロに、コウシロウがやんわりと微笑んだ。
「城下の風は殿下にも心地良いようだね」
ぴしりとゾロの動きが止まる。
しまった、と思った。他の大人達の目を上手く欺いていたことで油断していた。そう言えば父親はおっとりとしているようで、国王からは「狸」と評されている人物だった。この笑いと台詞は間違いなく自分の所業がばれてしまっているだろう。にこにこと笑いながら相手の核心を突くのは父の得意技であった。
「は・・・その、ようで」
背中に冷たい汗が流れていくのを感じながら、ゾロは直立したままでもごもごと答える。束の間、微妙な緊張感を含んだ空気が流れたが、それを崩したのはコウシロウの押し殺した笑声だった。
「まぁ、様々な事に直に触れていくのは悪いことではないと思うよ。陛下も若い頃は度々城下に出られていたしね」
若干和らいだ雰囲気にこっそりと息を吐く。初めて耳にした国王の情報は驚くものだったが、彼の人となりを知っているゾロにしてみれば納得もいった。
「それに私も殿下は大事にされ過ぎているように思う。宮殿の奥で学ぶことだけが全てではないから、お前の気持ちも分からなくは無いよ」
「はい。ですから、もっと多くのことを知って貰いたくて」
「ただし」
重臣の言葉に逆らったことを咎められるかと思ったのだが、思いがけず同意を得られたことにゾロの表情が明るくなる。自分のしたことは無駄ではないのだと訴えようとしたところを、今度は静かな声で遮られた。
「万が一の場合。お前は身を挺して殿下をお守り差し上げる覚悟があってのことだろうね?」
丸い眼鏡の奥の細い瞳が、鋭い光を放ってゾロを射抜く。普段の父親の雰囲気からは想像も出来ない程の覇気だった。
自らの行動に責任を持て。
それこそ物心ついた時から叩き込まれている父の教えは、彼の根底に深く染み付いている。だからこそゾロは、今度は気圧される事無く真っ直ぐに背を伸ばして、父の視線を受け止めた。
「勿論です」
はっきりと断言すると、父の瞳が和らぐ。同時に放たれていた覇気は消え去り、元通り穏やかな父親がそこに居た。
「ならばお前の思うようにやりなさい。ああ、周りには黙ったままの方が良いね。余計な心配をかけてしまうから。それから城下を見て頂くならば、災害の起きた土地にも御連れしなさい。理由はお前なら分かるだろう?」
「はい」
矢継ぎ早に指示していく父親は、恐らくゾロの覚悟を確認する為だけに忙しい職務の合間を縫って此処に来たのだろう。力強く頷く息子に満足気に笑って、抱えた書類を重そうに持ち直した。
「もう一つ。殿下の従者でいらっしゃるブルック殿にだけは話を通しておくよ。話の分かるとても信頼できる方だ。彼に予定を伝えておけば、しっかり準備して下さるだろう」
そう言って歩き出したコウシロウは、すれ違いざまにゾロの肩を叩いて例のやんわりとした笑みを浮かべた。
「あんなに歪んだ着付け方では、殿下がお可哀想だからね」
何時まで経ってもお前は不器用だね、と揶揄りながら立ち去っていく父親の背中を見送ったゾロは、一体父は何処まで知っているのだろうと頭を抱えたのだった。
内心の葛藤は別として、心強い味方を得たゾロはそれからもサンジを伴い、度々城下に出掛けた。
父の言葉通りスコールの時期には氾濫が起きた河の辺にも連れて行った。その理由もはっきりと分かっている。大きな災害の前には個人の力など無力だ。だからこそ国が被害を最小限に止め、民の生活を守らなければならないことをその眼で確かめて貰うのだ。
実際氾濫で荒れた土地を見たサンジは、想像以上の酷い光景に暫く言葉を失っていた。
当初から街に下りる楽しさも手伝って、ゾロの説明には真面目に耳を傾けていたサンジだったが、この日を境により真剣に国内を見て回ったのだった。
それから一年。元々サンジの頭は悪くない。否、悪くないどころか中々の回転を見せる。結果、繰り返されたお忍びは十分な成果を見せて、現在は民の生活の様子や国内の状態をほぼ把握してしまっていた。その為城下に出て直接見聞を広める必要性は低くなっていたが、民と触れ合うことは決して無駄ではないだろうと現在もお忍びは続けられているのである。
「なあなあゾロ!この間、菓子屋のオヤジが新しいレシピを教えてくれるっつってたんだ。最後で良いから寄って行きてぇんだけど」
「ん?あぁ、別に構わねぇよ。つか、教えて貰って如何すんだよ」
「ふっふっふ。勿論作るのさ!そんでクソジジィを驚かしてやる!」
王太子は外見は母親そっくりであっても、中身はとことん父親に似たらしい。なぜか親子揃って料理に興味を示すのだ。その実力は意外にも趣味の範囲を超えているようで、一度国王の手料理を振舞われたゾロの父親は「あのごつい手からどんなモノが作り出されるかと思ったけれど、なかなかどうして。大したものだったよ」と賞賛していた。
王太子も時折何か作っては父王に試食させているらしいのだ。しかし経験の差は如何ともし難く、試食させては「味が薄い」だの「スパイスが足りない」だの酷評されている、と言うのは当の王太子から(心底悔しそうに)聞かされた話である。
息子が父に料理を振舞う。一見するとほのぼのした話であるが、サンジの「にやり」としか表現できない笑みは、なんと言うかほのぼの、だけでは済まされない雰囲気を纏っている。
「あー・・・まぁ頑張れ」
その度に己の職場に乱入される厨房の人々にとっては迷惑な話だろう。ただ忙しい親子の数少ない交流でもあることだし、ここは諦めて貰うしかない。
「おう!見てろ、クソジジィ・・・今度こそギャフンと言わせてやる!」
投げ遣りな声援を送るゾロとは対照的に、サンジの瞳は燃えに燃え上がっていた。
「と、言うことで。今日は堤の補修工事を見に行くんだろ?早く行こう!」
意気揚々と歩を進めるサンジが振り向きながらゾロを手招きする。こういった時、ゾロは昔のことを良く思い出す。
今の役目に付いた時、正直な感想は面倒なことを頼まれた、だった。
国王直々に任じられた事は誇らしく思う。けれど騎士として仕えたからには、その方面で名を上げたいと思うのも当然の事だ。事実類稀な剣の才能で名を広めつつあったゾロは、騎士としての立場はそのままであっても騎士団には編成されず、なんとも宙ぶらりんな位置に立たされる結果となっている。
まして出会った日に一抹の可能性を見たと言っても、矢張り王太子の印象は「我儘な子供」であった。その為根性云々の前に下々のことを知る気も無いのではと懸念すらしていたのだ。
しかし数年ぶりに改めて相対した王太子は、ゾロの心配を良い意味で裏切ってくれた。
貪欲に知識を吸収し、そうして得たものを実際に自分の目で見たものと結び付け、自らの考えを導き出そうとする。その姿勢はゾロの眼に好ましく映り、今では自分の役割に誇りさえ感じている。同時に、始めの印象だけで人を判断する自分自身の甘さも指摘されたようで、王太子の成長に負けられないとも思っている。
騎士に任命されてから六年。
残念ながら、敬愛する国王は真実の相手ではないとゾロの心は訴える。
そんな相手が本当にいるのだろうか。
それとも既に現れているのに自分が気付いていないだけなのだろうか。
早く早くと急き立てる蒼い瞳に予感めいたものを感じながらも、それを形にする事が出来ないままに、ゾロはゆっくりと歩き始めた。
そんな、いつもと変わりない穏やかな日常。
実はそのお忍びの後、サンジがある騒動を起こしていたのを知ったのは翌日の午後のことである。
いつもと同じ様なパタパタとせわしない足音と呼び声が耳に届き「はて、今日は自分の予定は無いはずだが」と首を捻ったゾロは、息を切らせたブルックの言葉に愕然としたのだった。
国の設定はこれ以上無い位適当です。なんと私の脳内ですら地図が浮かんでいませんヨ。
この後きっとこの地形設定のせいで四苦八苦するんだろうなぁ・・・(自業自得を地でいきます)
そして騎士殿は父親と王太子の間で四苦八苦。
TEXT BACK NEXT